夕焼け列車



「せかいがひとつになるまで ずっとてをつないでいよう」

女の子が、靴を脱いで座席シートにひざをつき、窓の外を見ながら、小さな声で歌っていました。

夕暮れが近づいてきた空は、どんよりした梅雨空ではありましたが、雲の上のほうでは、西に傾いてきた太陽によって、所どころ金色に光り始めているようです。

まだ夕方の帰宅時間より前でしたから、車内はほとんどの人が座っていて、ドアの近くには人が何人か立っていました。


「なぜみんな このちきゅうに うまれてきたのだろう」

女の子の歌声が大きくなってきたので、お母さんは「シーッ」指を口に当てて、合図をしました。女の子は、一瞬、歌うのをやめましたが、本当に小さい声で、また歌い始めました。

そんな、お母さんと小さな女の子のやり取りを、まわりの人たちは、知らぬ顔をしつつも、心の中で微笑みながら、見守りながら、電車はやさしく揺れていました。


お母さんは、ずいぶん昔に出会った、ひとりの女の子のことを、思い出していました。その女の子はまだ5歳でしたが、お父さんも、お母さんも、その子のことを大切にしてくれなかったので、お家から離れたところで、暮らすことになったのです。

お母さんは、その女の子の通っていた保育園の先生をしていました。他の子よりも体が小さいけれど、とても気が強くて、そのくせ、お昼寝の時はひとりで寝付けずに、周りの子が寝付いた、いちばん最後に、先生の手を握りながら眠っていた、あの女の子。今頃、どうしてるかな?元気でいるといいな。

「せかいがひとつになるまで ずっとてをつないでいよう」

お昼寝の時には、女の子の小さな手を握りながら、よくこの歌を歌いました。その頃、夕方のテレビアニメで流れていた歌で、保育園の子どもたちと一緒にこの歌を歌うと、ときどき、胸がいっぱいになってしまって、涙がぽろぽろこぼれてしまう、なんてこともありました。

「せんせいがないてるー!」

「せんせい、だいじょうぶ?」

「なかないで」

そのころ、お家を出て、ひとりで暮らし始めて、保育園の先生になったばかりだったお母さんは、不安で泣いてばかりいました。それでも、あの女の子に比べたら、私なんか。


女の子の小さな体には、傷や、あざのあとが、たくさんありました。


お母さんは、隣に座って、まだ小さな声で歌っている女の子の足を、そっと撫でました。あれから、15年?じゃあ、あの子は、20歳くらいになっているのかなあ。


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「せかいがひとつになるまで ずっとてをつないでいよう」


ひとつ向こうの座席から、かわいらしい歌声が聞こえてきて、彼女は目を覚ましました。

(ああ、よかった、まだ駅はふたつ前。あれ?なんだっけ、この歌?なんだか懐かしい…子どもの頃、聞いたことあるな…)

仕事の面接がうまくいって、さっそく明日からきてほしい、と言われたので、ホッとして、今日は帰りに美味しいものでも買って帰ろう…そんなことを考えながら、電車に揺られてうとうとしていたのです。

隣の方から聞こえてくる歌は、透き通るような、かわいらしい歌声でした。姿は見えませんが、向かいの窓ガラスに、女の子とお母さんが映っているのがわかりました。

(お母さん、か。)

彼女には、お母さんやお父さんとの思い出はほとんどありません。けれども、小さいときに、優しく手をつないでくれた人のことは、うっすらと覚えています。顔も、名前も、もう覚えていないけれど、薄暗い、保育園のお昼寝のホールで、扇風機が回ってて、わたしの、少し汗ばんだ手を、ずっと握って歌を歌ってくれた人。どこかで、元気でいるのかな。

小さいころのことを思い出すことは、あまりないのですが、久しぶりに懐かしい気持ちになって、後ろを振り向くと、窓の外の、女の子が見ているのと同じ景色を眺めました。

ちょうど、雲がうすくなって、そのたくさんの隙間から、太陽の光が降り注ぎました。

「わー、見て、ママ!きれい!」女の子の歓声が聞こえます。

(ほんとに、きれいだね。)



夕暮れの金色の光に包まれて、電車は、ゆれながら走っていきました。





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