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AIに記事を手伝っていただきました

ああ、noteうまく書けねえなあ、と思い悩む日々を経て、はや、幾年。そんな苦境に打ちひしがれていた私に、偉大なるnoteの公式様が素晴らしい救済措置を賜ってくださいました。適当なアイデアの素になる文を100字程度、表示された枠内に書き込んでボタンを押せば、それをAIが数千字の記事に仕立て上げてくれるという魔法の様なオプションが無料で追加されたのです(一ヶ月に五回まで、という使用制限はありますが)。
 私は元来AIに対して懐疑的な視線を投げかけておりました。しかし、自分が楽できるとなれば話は別です。その場で考えた適当な思い付きを100字位で打ち込んで、後はAIが出力した3000字位の文を「私が深山へと赴き、冷たい滝に打たれながら書いた文章です。この苦行が終わった時、私は鳥の声を解(かい)し、鳥獣たちと会話ができるようになっておりました」みたいな顔をしながら厳かに発表すればそれでいい。片岡鶴太郎くらいのポジションならそれで十分に立ち昇れるだろう。やっと、やっと俺も勝ち組になれるのだ。本当に長かった。
 私は感動で溢れ出る涙を拭いながら試しにテーマとなる短い文章を入れてみました。早く豪邸に住んでキャビアを食べたい、ただそれだけを考えながら。ボタンを押すと、AIが心躍るようなリズムで長い文章を書き始めます。今、栄光への懸け橋が燦然と紡がれている。惨めな暮らしにこれでおさらば。豪邸。キャビア。フォアグラ。ドン・ペリニヨン。すきやばし次郎。高級マンション。岡村靖幸の歌みたいな恋。六本木。クルージングで世界旅行。私設軍隊。自家用ジェット。村上龍の小説に出てくる、飲んだだけで相手の女性が感動で泣き始めるワイン。森の中の別荘。シェフの気まぐれサラダ。新鮮な海のパスタ。季節のパテ。マドラスソースを添えて。オペラ鑑賞。お抱えコーディネーター。トリュフで和えた京野菜。




 こいつは何を言っている?
 
 いつ俺が"その瞬間瞬間でルールが変わるスポーツ"のプロになりたいと言った?これを、元にして長文のエッセイを書いて下さいと俺は言ったのよ!「常にルールが変わるスポーツについての継続的な研究が必要である」って、そんなわけのわからんもん継続してどうすんのよ?研究費がもったいないって!干し草でも買ってた方がまだマシだろ!あと、その都度その都度でルールが変わるスポーツに"新しい戦略"とか無いから。

 なんかね、ちゃんと確認したらね、なんか、AIが記事を書いてくれるんじゃ無くてね、「愉快な記事を作る為のヒント」みたいなのを教えてくれるっつう、ただそれだけの話らしいんですよ。なんかね、なんか一回舞い上がっただけに本当に……びっくりしましてね。この「"professional"になるためには…」の文を見た時に。ああ、俺は……金持ちになれるんじゃなかったのかって。「AIを駆使する現代の錬金術師」みたいな肩書きで世に躍り出て、なんかしょうもないオリジナルグッズ(「勝利」と書いてあるだけのめんことか)を5万円位で売り捌いて銀座で豪遊とか、そういう下劣な生き方は幻だったのかって。なんか、「東京カレンダー」とか「LEON」みたいな生き方、心ではバカにしてたけど、心の底では、なりた、なりたかったなあって………なんか、「イケナイコトカイ」みたいなさ………ねえドン・ファンって感じの…………いや、やめよう。こんな話もうやめよう。前を向こう。

 せっかくなんで他にもテーマを投稿してみました。





 ここまでバカみたいな短文ですら何が何でもビジネスと繋げようとするAIの情熱はどこから来るのか?それは完全に不明だが、とにかく、「担々麺の"痺れ"を楽曲に落とし込むことで、担々麺の美味しさをより感じられるようなエンターテイメント性のある飲食店」をね、経営して行きたいと思います。単純に、一蘭みたいな半個室の部屋に客を座らせて、椅子がマッサージチェアになってて、客の口内の痺れと連動する仕様にすればいいんじゃないかなって。「日本人には、日本のしびれ」みたいなどうでもいいキャッチコピーを沿えて。担々麺の痺れを落とし込む楽曲は…浪越徳治郎がプロデュースした7インチにします。「指圧讃歌」。やりますよ。「担々麺 もみもみ」の開店ですよ。屋台から始めるよ。

 そういうわけで、AIに記事を手伝って貰ったっていう、そういう話でした。読んでいただいてありがとうございます。まあ、次の記事は俺が全部書くんですけどね。もうAIを5回使ったから。俺はバカ過ぎてAIの使い方にさえ計画性が皆無なんだよ。でも、皆さんは、電子頭脳と手を取り合って、豊かなテクノライフを送ってくださいね。俺はキャビアやトリュフの幻想をさっぱり忘れて、はなまるうどんでうどん食ってきます。「天ぷら定期券」で5月7日まで天ぷらが一品無料になるんでね。束の間のセレブ気分、儚い夢を見れて楽しかったです。まあ、この文の最後くらいは、せめて村上龍のエッセイみたいな感じで締めさせて頂きます。

 
 今、わたしは、東京の喧騒を遠く離れ、ナポリに到着したところです。
 ナポリは、いい街だ。
 ここに来ると、「都市」というものが、何をイメージして創られたのか良く分かる。
 それは、快楽に対する本能のようなものだが、もちろん言葉で的確に言い表わせるものではない。
 要するに、イメージに依存していない強い意志がタフな景観を生み出しているのだが、それを日本人に説明するのは、難しい。
 とりあえずこれから「サン・ベルデェァン」で、疾走するスポーツカーの様なワインを飲みながら、この国について考えてみます。
 次回のエッセイも、楽しみにして下さい。
 では、また。





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