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パパ活女子と、成金野郎と、大塚家具にいたある少女と

大塚家具が「大塚家具」だった頃、名古屋市内にガラス張りのショールームがあった。中学生の頃だったと記憶している。たしかアートアクアリウムの展覧会を向かっている途中、大塚家具のショールーム沿いを歩いた。あの頃の大塚家具は、”金持ちのための家具屋”という感じで、ニトリや街の小さな家具店で家具を買い揃えるわれわれが足を踏み入れるべき場所ではなかった。噂によれば、店に入ればホテルのコンシェルジュの如く店員が客をエスコートして、マンツーマンの接客をしてくれるとのことだった。店員を探そうとも、なかなか見つからないニトリとは大違いである。

ガラス窓の外側から店内を見ると、いかにも高級そうな家具が柔らかい照明の光を浴びて輝いている。店内を見渡すと、ダイニングテーブルの周りに、当時の僕と同じくらいの少女と、彼女の両親と思しき中年の男女、それから彼らを接客する店員の存在を認めた。少女は上質そうな洋服を身につけていて、両親(と思しき男女)と楽しそうに談笑する様子が見てとれた。両親はいかにも知的な雰囲気を纏っていて、おそらくは医者や会社経営者といったハイステータスな人間らしかった。寒空の下、僕は文化的にも経済的にも豊かそうな彼女ら(それをエリートと呼ぶのかもしれない)に対して、羨望に似た感情を覚えた。

あれから時は流れ、2024年になった。その間に、単に有名であることに尽きるインフルエンサーというジャンルの富裕層が誕生したり、単にセクシュアルの切り売りであることに尽きるパパ活女子というジャンルの小金持ちが誕生したりした。あるいは、Twitterが消滅してXになり(それでも僕はTwitterと呼び続けている)、「大塚家具」は消滅した。YouTubeを観ていると、金を紙切れのように使う動画が異常に再生されていることに気づく。もはや少年時代の僕が憧れた知性と品性を保った「高所得者」は、現代の高所得者に覆い隠されているようだった。もっとも知性と品性を保つ「高所得者」は、わざわざSNSに自身を誇示しようとはしないのかもしれない。

都内の高級料理店は成金で溢れていると聞く。その事実は、SNS上に散見される、高級料理店の店内にいる「私」に焦点を当てて撮影された写真が静かに物語っている。彼らにとっては、料理が美味しいかまずいかという事実よりも、高額な料理を提供している店にいま「私」が存在しているという事実と、その事実を大衆に知らしめるという行為の方が重要なのだろう。いつからこんな乾いた時代になってしまったのか。

みっともない高所得者を見ると、ガラス張りの大塚家具のショールームの中で微笑んでいた知的な少女のことを時々思い出す。彼女も、今では大学生くらいにはなっているだろう。なあ、君は今日の歪んだ渦に巻き込まれることなく、君らしさを保つことができているかい。Instagramに毳毳しい「私」を誇示しているようならば、さすがに僕は泣いてしまうよ。僕は、刹那的にも君の知性に、品性に、存在に憧れたひとりなのだから。

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