見出し画像

2021年振り返り(前半)_死生観の変化

2021年は激動の幕開けだった。
お正月のんびり父と息子と3人で凧揚げをして過ごした。
4歳になって口も達者&活発に動き回る息子に翻弄されながらも楽しそうに相手をしてくれる父は私にとって母よりも頼りにしていた。
あと何年この景色を見れるかなーと父と息子の遊ぶ背中を見て笑ってた。

その12日後に父は心筋梗塞で入院。
この時点で50%の心筋が壊死していた。
週末3連休明らかに体調が悪かったのに、病院に行くのを我慢したらしい。
その時に無理矢理連れて行っていたら何か変わってたのかもしれない。
病院に行って即刻カテーテルの手術。
その後、術後の合併症である致死性不整脈・心臓破裂・大動脈解離というトリプルコンボを次々おこして1ヶ月昏睡の末、亡くなった。
思ってた以上に父の体は動脈硬化が激しく血管が弱りきってたらしい。
(ちなみにこの3大合併症を起こして1ヶ月生きていたのは日本初の症例らしい、ある意味すごい)

父が亡くなる前日、伯父が他界。
末期癌でもう長くはないと2020年の年末に父と母は一緒にお見舞いに行っていたのに、まさかその伯父が亡くなった翌日に自分が死ぬとは夢にも思ってなかったと思う。

コロナで入院病棟のほとんどが面会がNGだった今年2月。
父はいつ亡くなってもおかしくない状況にあってICUの先生達はいつでも面会させてくれた。
70歳という年齢を考えたらまだ逝くには早い、やれることは全部やります
そう言ってくれた先生と看護師さん達。
あの言葉には本当に今でも感謝している。
コロナ禍もあって、過酷な労働環境の中、病院で働いている全ての人に感謝した。
2度も心臓が止まっていたので、意識があるのかどうかさえわからなかったけど、亡くなる数日前に会いに行った時、父の左目から涙がこぼれたのを今でも忘れられない。
先生は「意識はない」と言っていたけど私はあったんじゃないかと思ってる。

父が亡くなった2月のあの日。
息子を旦那さんに託して夜中、母と2人で夜病院に駆けつけた。
部屋に入ったくらいで、心肺停止になってたようで(私は気づかなかった)、来るのをギリギリまで待ってくれてたのかなと思った。

病室で眠る父を見ても悲しさはなく、ただ部屋の上の方が妙に気になった。
入ったドアのちょうど上くらいに父がいるような気がしてずっとそこをみてた。
(何も見えなかったけど)
父が自分が死んでしまったことに驚いてる、「死んでしもた〜」と言ってるような気がして、そんな感情が伝わってきた。

現実感がなかったけどやることは山ほどあって、そこからはひたすらお通夜と葬式の事務的な決め事の嵐。
お葬式の後は、相続関係の事務手続きと諸々の名義変更を母と兄と一緒にこなした。

4月、兄が関東からこっちに転勤が決まり実家に帰ってきてくれた。
会社が気を利かせてくれたらしいこの転勤に、私も母も心底感謝した。
実家に母と一緒にいてくれるだけで私は心強かったし、母も世話する人間がいることで少し気が紛れるようだった。
母親にとって息子という存在は娘とはまた違った存在なんだろう。
兄の声は父に似ている。
兄を通して父の面影を感じることで少しずつ元気を取り戻してるように見えた。
元来、しっかりした人なので父が死んで無気力、塞ぎ込むということが全くなかった。
やることが多すぎて、塞ぎ込む暇がなかったというのが本当かもしれないw
母にはこまめに声をかけてくれる友達もいたのでとてもありがたかった。
友達はいくつになってもありがたい存在なんだなと母を見て学んだ。
歳をとってもそんな友達がいる、そうゆうふうに自分も歳を取りたいと思った。

4月に兄が実家に帰ってきて、しばらくして、近所に住むもう1人の伯父が心臓発作で急死した。
夜中にトイレに行って?部屋に戻ろうとした時に廊下でパタっと亡くなったらしい。
少しボケてきていたけど伯母が献身的に介護していた。
実家と本当に近所だったのでよく息子と一緒に顔出してはいたけど、まさかこんなに急に、父が亡くなって2ヶ月経たずに亡くなるとは思わなかった。

喪服を着る機会がオンパレードの今年の春。
祖父が祖母に先立たれて、お酒に溺れているのをみていた父は母よりも早く逝くことを望んでいた。
にしても70歳と半年。
逝くには早いと思ったけれど、きっと余命宣告をされるような病気だと父には耐えられなかったと思う。
いつもは穏やかでマイペースな人だったけれど、そうゆうことにものすごく怖がりな人だった。
不謹慎かもしれないけど、自分が死んだことに死んだ後驚くくらいが父にはちょうど良かったのかもしれない。

父の四十九日、納骨の時。(こっから少しスピリチュアルです)
お坊さんがお経をあげてる間、父に話しかけていた。

「お兄ちゃんとお母さんに伝えたいことはある?」

術後、ずっと昏睡状態だったので伝えたいことを何も伝えられてない、そんな後悔があるんじゃないかと思ってた。
普段、自分の霊感体質には蓋をしている。
あまりにいろんなことを感じすぎてしまうと自分がしんどくなるから。
霊感体質に蓋をしていると力も失せてきている気がする。
実際、死者の声を聞いたことはなかったので、できるかどうかは五分五分だった。
でもどうしてもこの日ばかりは、父の思いを知りたかったし、母と兄に伝えたかった。

朝から問いかけていたけど、反応はなくお墓の前にきて納骨が一通り終わった時、父からメッセージが来た。

「お別れなんやなぁ、さみしいなぁ」

この言葉が頭にヒュッと入ってきた。
あ、お父さんだ。
直感でそう思った。
涙が溢れた。
その場でうまく兄と母に伝えられなかったので、自宅に帰ってから電話で伝えた。

「お父さんらしいなぁ」
母は涙声で半分笑ってた。
兄にも伝えてくれた。

霊感体質が、母の家系(主に女系)にあることを兄は知っていたけど、私にもそれがあるとは知らず少し驚いていた。

四十九日が終わった後、それまで家の中にあった父の濃い気配が、薄くなった。

「移動したんだな」
そう思った。

死は、世界を移動すること
肉体は無くなっても、肉体に入っていた魂(人の核みたいなもの)の旅は続く。
父が死ぬまで、私にとって「死」は怖いものだった。
でも今は違う。
役目を終えて、世界を移動すること
そんなふうに認識が変わった。
父の肉体に入っていた魂は新たな世界へ、新たなステージに進んだだけのこと

父の役目はなんだったんだろう。
母と一緒に、私達兄妹を育てること
実直に働くこと
真面目に欲に溺れず過ごすこと
淡々と毎日を生きること
孫を可愛がること
先祖供養を淡々とすること
壊れたものを自分の手で修理して動かせるようにすることw
自分の好きなことを夢中でやること

そんな生きる姿を私達に見せることだったのかな。
私も息子に生き様を見せていくことが役目なんだろうか。
何か大きいことを成し遂げなくても
ただ生き様を周りの人や次の世代にみせていく
それが役目なのかもしれない。

そんなことを学んだ2021年前半。

この記事が参加している募集

最近の学び

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?