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アンドロイドが愛を求めるとき、人間を人間たらしめるものは何か?(倉本知明)

「倉本知明の台湾通信」第6回
2069』著:高翊峰 2019年11月出版

「あなたは人間ですか?」そう尋ねられれば、ほとんどの人は「はい」と答えるに違いない。「では、人間とは何ですか?」と尋ねられれば、同じくほとんどの人が回答に詰まってしまうはずだ。人間とは何か。一見単純に見えるこの問題は、クローン技術にゲノム科学、AI産業など、日進月歩する科学技術の進化によってますます複雑化しているように見える。

 昨年末、台湾で発表された高翊峰(Gao Yifeng)の長編小説『2069』は、そうした人間とアンドロイド、サイボーグの境界が曖昧になった近未来において、人ならざるアンドロイドの意識の流れを追ったSFサイバーパンク小説だ。物語は50年後の架空の世界を舞台に、古くなった器官を取り換えていくことで驚異的な寿命を得た老人たちが次々と怪死していく事件の謎を、アンドロイドの主人公ダリの視点から探っていく推理仕立ての構造になっている。

SFミステリ仕立ての物語に見え隠れする「東アジア」の歴史と現実

物語では、2029年にユートピア島を切り裂く大地震が発生し、運転中の第二原発がメルトダウンを起こしたことで、島民たちは深刻な被爆状態に陥る。機能不全となったユートピア政府は、ヘック、フォース、サイバー、プラスティの近隣諸国に救助を求めるが、4カ国はユートピア島北部にMDZ特区を設けて、当地を50年間「委任統治」することを決定する。

最先端の技術が集められたMDZ特区では、被爆した島民の治療と同時に、老化した器官を人造器官と取り換えることで自然死を激減させ、さらに被爆の影響を受けた奇形児が生まれないように、自然出産を厳しく規制する「零誕生計画」が実施される。

MDZ(The Man Died Zone)といった名前とは裏腹に、人間の生死が完全に途絶えることとなった同特区は、長らく電子頭脳をもったアンドロイドたちによって管理されてきたが、2069年に入ると老人たちの怪死事件が頻発するようになる。MDZ特区「綠A共同集合住宅」のパトロール隊長であったダリは、副隊長のカーロとともに老人たちの死亡事件を調査する中で、自身の電子頭脳の記憶システムに障害が起こっていたことに気づく。そこでダリは、サイバープラットフォーム「自流広場」から、パトロール隊員たちの電子頭脳に侵入したフェルメールが、住民たちの自主死亡事件に関与していたことを発見する。

一方、事件の調査を進めていたMDZ特区出身の警官トニー・ワンは、カーロが犯人と睨んで逮捕に踏み切るが、その電子頭脳に「プシュケー0605」と呼ばれるバーチャルAIが侵入していたことを知る。ダリたちはMDZ特区警備局によって囚われたカーロの救出に向かうが、4カ国によって「死なない」身体となった老人たちの死亡事件が、実は「ハウス・キーパー」と呼ばれる、2019年にすでに死亡したHK博士の大脳と電子頭脳が融合したAIが引き起こした事件であったことを突き止めるのだった。

2069』は近未来のディストピアを描いたSF小説であると同時に、現実の東アジアの政治や歴史を濃厚に投影した寓話小説でもある。物語の舞台であるユートピア島が台湾であることは言うまでもなく、MDZ特区を支配しているヘック、フォース、サイバー、プラスティの4カ国は、それぞれアメリカ、中国、日本、韓国を暗示している。作者である高翊峰が、東アジアにおける政治的均衡の中で長らく不安定な政治状況におかれてきた台湾の歴史的現状を、大国間の思惑が入り乱れるMDZ特区といった多重権力空間に落とし込んで描いていることは間違いない。

また、地震によって生まれたMDZ特区やそこに建設された緑A集合住宅の描写は、小さな半島に多くの建築物が密集する香港の情景を想起させる。例えば、2019年に死亡した後に「ハウス・キーパー」として徐々に電子頭脳と同化していくHK博士は、2019年に起こった逃亡犯条例の成立と、それに抗議する人々に対する当局の武力的鎮圧によって失われた「自由で民主的な香港」の暗喩としても読める。しかし、物語では大脳だけの存在となったHK博士が電子頭脳とリンクすることで、さながら亡霊のようにダリたち自意識を持ったアンドロイドたちを導く役割を果たしている点も見逃せない。

人と「人ならざる者」が入り混じった家族の情景

もちろん、こうした政治的寓話から離れて、本作を人間の境界線をめぐる問いかけとして読むこともできる。アンドロイドであるダリは、愛玩用のセックスアンドロイドであるサロメとともに、MDZ特区で暮らすユートピア人夫婦の下に家族として「配給」されるが、そこからは人と人ならざる者が入り混じった家族の情景が浮かび上がっている。中風で倒れたダリの父親は、植物人間でありながら唯一健康な肉体を保持した人類として登場しているが、母親は「生きる屍」である夫が生きる意味を疑っている。しかし、そんな母親もMDZ特区から配給された様々な人造器官を身体に埋め込むことで、半ばサイボーグ化した状態で「死ねずに」生き続けている。ひるがえって、本来人ならざるものであるはずのダリは最先端電子頭脳と人工皮膚を搭載した高性能アンドロイドで、脳みそ以外はほぼ人間に近い存在として描かれている。

血縁関係を持たないこの家庭において、誰が最も「人間」に近いのか? また彼らを「家族」と呼ぶことはできるのだろうか? 肉体の欠落度合いだけを見れば完全な肉体を保持したダリの父親が「人間」に一番近いかもしれないが、植物状態の父親に意識らしきものは見受けられない。それでは脳が生きていることが一番大切かと言えば、HK博士のように肉体を失った大脳の末路を見れば、必ずしもそうとも言い難い。また程度の差こそあれ、現在でもペースメーカーなど機械を肉体の一部として生活している人が多いことも事実だ。その点、ダリはほとんど人間に近い肉体を保持し、自己学習するAIとして自我意識すら持ちはじめるが、“ホモ・AI”とも言えるダリは、果たして「人間」の範疇に属するのだろうか?

「あなたは人間ですか?」こうした問いが頻繁に発せられる未来は、もうすぐそこまで来ているのかもしれない。

執筆者プロフィール:倉本知明
1982年、香川県生まれ。立命館大学先端総合学術研究科卒、学術博士。文藻外語大学准教授。2010年から台湾・高雄在住。訳書に、伊格言『グラウンド・ゼロ――台湾第四原発事故』(白水社)、蘇偉貞『沈黙の島』(あるむ)、王聡威『ここにいる』(白水社)、高村光太郎『智惠子抄』(麥田)がある。

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