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note9か月経ってましたから三浦春馬さんの自殺について感じたこと

先日noteに9か月いると連絡がきた。

noteはなんとなーくどのくらいnoteの街で過しているのかここでの生活に浸透してきているのか教えてくれる。しかも「おめでとう」と言って。

この9か月で一番見られているのが以下のものであったりする。

で、次が以下のこれ。

どっちも推しの記事なんだけど…。


以前「おっさんずラブ」の天空不動産編のファンの方と話したことがある。(ちなみにわたしは「おっさんずラブ」は落合モトキくんが出ている最初の単発からどれも好き。なのでIn the sky編に特別な思い入れがある訳ではない。どれもそれぞれ面白いってことでは変わらない)

熱狂的なファンというのはなんとか……。色々と調べてくれて私の拙い文章までたどり着いてくれるらしい。
1位に書かれているのはこの時応援していた戸次さん扮する四宮要のはなしで、主演の田中圭さんのことはほとんど触れていない(と思う。既に忘れている)。
2位になったのは「貴族誕生」といっても主演のEXILE系の俳優には目もくれず、「clubサンマルチノ」での信虎コールをする前田公輝(ごうき)くん扮する歩夢くんが歌が上手くてかっこいいってことだけのはなしなのだ。

ほんと意味の余りない内容なのだがファンというのはありがたい。

私は歩夢役の公輝くんもいいのだが、公輝くんはやっぱりHigh&Lowの轟洋介推しだ。

公輝くんはめがねが似合う。そして轟は黒髪・色白・めがね・学ランのインテリ不良なのだ。(今CSで再放送しているのでなかったか?)

物凄く強いのにほとんど彼の下につくものは居ない。孤高なのだ。

演技上手いし前田公輝という人はとてもおしゃべりなのに、轟役ではほとんど話さない。無口だが画面に出てくると美しすぎる。

あぁ、今轟や公輝くんについて語るつもりはないのについ余計に話してしまう。これが推しに対してのオタクの感情なのだなぁとつくづく思う。

私の前田公輝くん押しの原点は轟なので轟だけは特別なのだ。


まぁ、知らない人には面白くもない話なのでここからが本題。

芸能人というのはファンに支えられている部分が多い。

もちろん本人の魅力があって支えるファンがつくのだが、ファンの方は作られたその人をみるしかない。

表の顔でみせる表情やことばから本人がどんなひとか推測し、虚像を作り上げる。

さっき「コンフィデンスマンJP」をTVでみていて、亡くなった三浦春馬さんの姿をみてまだ若く本当にかっこよくて画面に映える人だなと思った。

スクリーンの中にいるのがしっくりする人でもこころの中というのは分からない。俳優で売れたい夢をみている人が多い中沢山の賞を受賞しているし、歌も抜群に上手いし舞台でも踊りも上手な彼でも死ぬほどの闇をこころにかかえていたのだなと思うと悲しい気持ちになった。

NHKの「世界は欲しいモノで溢れている」と言う番組が好きで良く見ていた。

三浦春馬さんは雑貨屋をこんなかっこいい男の子と

これセンスがいいね

とか言いながらまわれたらいいなーと思いながらみていた。小物が本当に好きらしく感じた。

死にたくなるのは何か絶望している時だと私は思っている。

何に対して絶望を抱いていたのか(完全に私の憶測だから違うかもしれません)。まじめな人ほど自分に対して高い理想と完璧性を求める。

人間は完璧ではない。どんなにかっこよくても完璧ではない。周囲の期待に応えられなかったとしてもそれは逆に人間らしくていいのだ。

時には完璧じゃない自分を受け容れないとならない。

それはその人らしさで、欠けた部分は補おうと努力を続ける姿が美しかったり応援したかったりする。

やっても出来ないことがあれば出来ることを探せばいい。

いつも完璧を求めている人間はいつも満たされない。はたからみていて十分だと思っても本人が満足出来ないと本人のこころは満たされないまま。

真面目で努力家のひとに時に自分の欠けているところが個性的で他者から愛嬌とされる部分だと気がついて欲しい。

完璧だったらそこから成長は望めない。

不完全だから人間は進歩し続けるのだろう。努力と改善を続けるのだろう。


死をもって芸能界を離れる前に活動を休止しスクリーンから離れてくれた方が良かった。またいつか再開できる可能性があるから。
スター的な存在というものは自分の人生のほんの端っこだろうけれど他者にも影響を与えている。すでに自分だけの生ではないということを思い出して踏みとどまって欲しかった。

彼の歌声。もし良ければ聞いてください。




まだまだたくさんの記事を書いていきたいと思っています。私のやる気スイッチを押してくださーい!