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#18 数々の伝説を作った「ピンク・レディー」

 1990年代〜2000年代の女性アイドルを振り返る「ガールズポップス」。 YouTubeの「あなたのおすすめ」の中にピンク・レディーの全盛期を振り返る動画を発見した。何気なく見てみると、当時の過密スケジュールについて「忙しすぎて覚えていない」、「(毎週のように『ザ・ベストテン』に出ていたのに)司会の黒柳徹子さんとトークした記憶がない」などと話していた。今回は1970年代後半に当時の音楽業界では異例となるシングル9作連続1位を成し遂げる伝説のピンク・レディーについて振り返っていく。

デビュー前

 1973年にヤマハ音楽が主催するオーディションに授業料免除の特待生としてそれぞれ合格し、ヤマハボーカルスクールに通うようになった。その後は講師の勧めで根本美鶴代(ミー)と増田啓子(ケイ)でフォークデュオ「クッキー」を結成し、デビューに向けてレッスンを積んでいた。

 1976年1月にオーディション番組『スター誕生!』のテレビ予選大会に出場し、高得点で決勝大会へと進んだ。3月の決勝大会ではお揃いのオーバーオール姿の素朴な雰囲気でピーマンの「部屋を出て下さい」を披露し、芸能事務所「アクトワン」やビクター音楽産業の飯田久彦など計8社からスカウトのプラカードが上がった。同じく決勝大会に進み、ソロアイドル歌手としてデビューすることになる清水由貴子は芸能事務所とレコード会社合わせて14社からプラカードが上がり、同大会の最優秀賞を受賞した。

 元々はフォークデュオとしてデビューする予定で「白い風船」、「茶ばたけ」、「みかん箱」などが候補に挙げられた。

デビュー直後に口コミで人気が拡大

 3年間の下積み時代を経て、1976年8月25日に「ペッパー警部」でデビューを果たしたが、オリコン初登場99位から翌週には103位にランクダウンするなど全く売れなかった。しかし、秋に新人アーティストを対象とした新宿音楽祭で銀賞を受賞すると、徐々に順位が上がり、11月22日付のオリコン週間ランキングでTOP20入りを果たし、異例のロングヒットを記録した。Aメロの足を大胆に開く振付は一部から下品であるという声があり、テレビ局にクレームが寄せられた事例があった。

 11月にリリースされた2ndシングル「S・O・S」も初登場順位が低かったものの、デビュー曲の「ペッパー警部」と同様に徐々にランクアップし、リリースから3ヶ月後の1977年2月には初の1位を獲得し、ロングヒットを記録した。

 ピンク・レディーがヒットした要因は年末のメディア出演の増加で認知度を得たこと、土居甫が手がけた「ペッパー警部」の大股開きの振り付けが世間から注目されたことなどが挙げられる。

  • 1st「ペッパー警部」(4位) ※初登場99位

  • 2nd「S・O・S」(1位) ※初登場42位

社会現象化した人気

 1977年に入ると、人気はさらに加速し、文房具や食器・自転車など関連グッズが飛ぶように売れた。当時は超過密スケジュールで1日に10本以上の仕事をこなしていたため睡眠時間が1時間弱になる日もあった。あまりの多忙で「何の仕事をしたのか覚えていない」と後にバラエティ番組等で語ることもあり、地方公演で集まった観客の多さで初めて人気を実感したほどだった。

 6月にリリースされた4thシングル「渚のシンドバッド」で初めてミリオンセラーを記録し、当時の音楽業界としては異例となる8週連続1位を獲得した。6thシングル「UFO」はダンスレッスンの時間を確保することができず、初披露の2時間前に振付を習得するほどで忙しさはピークに達していた。「UFO」が大ヒットしたことで、これまで「ユーエフオー」と呼ばれていたのが「ユーフォー」と一般的に呼ばれるようになった。

 12月にはケイが腹膜炎を起こして緊急入院し、絶対安静とされていたが、数日後に初の日本武道館公演を控えていたため傷口が開いた状態でステージに立ったことは伝説として語り継がれている。年末には「ウォンテッド(指名手配)」で『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。

  • 3rd「カルメン’77」(5週連続1位) ※初登場3位

  • 4th「渚のシンドバッド」(8週連続1位) ※初登場4位

  • 5th「ウォンテッド (指名手配)」(12週連続1位) ※初登場12位

  • 6th「UFO」(10週連続1位) ※初登場8位

紅白辞退で猛バッシングに

 1978年11月、大晦日はチャリティー番組『ピンク・レディー 汗と涙の大晦日150分!!』に出演するため『NHK紅白歌合戦』の出場を辞退することを記者会見で発表した。紅白の辞退は所属事務所による意向だったが、当時は人気アーティストが視聴率70%以上を記録していた国民的番組を辞退することが珍しく、裏番組への出演を選んだこともあってマスコミから大バッシングを受けることになってしまった。

 12月リリースされた10thシングル「カメレオン・アーミー」はシングル9作連続1位を獲得し、2年間で63週にわたって1位を独占した(2015年にB’zが記録を更新するまで最高記録だった)。

  • 7th「サウスポー」(9週連続1位)

  • 8th「モンスター」(8週連続1位) ※初登場2位

  • 9th「透明人間」(4週連続1位) ※初登場10位

  • 10th「カメレオン・アーミー」(6週連続1位) ※初登場88位

人気が徐々に低迷へ

 前年の紅白辞退や同時期に起こった事務所トラブル、ケイの熱愛スキャンダル、サザンオールスターズやゴダイゴといったニューミュージックの登場が重なって人気が徐々に低迷していった。

 1979年3月にリリースされた11thシングル「ジパング」で連続1位の記録は途絶えたが、シングル総売上枚数が1000万枚を突破、2007年にモーニング娘。が記録を更新するまで女性グループにおいて1位だった。

 7月にリリースされた13thシングル「波乗りパイレーツ」はカップリングとしてアメリカでレコーディングされたアレンジ違いの同楽曲が収録され、コーラスに1960年代に活躍したザ・ビーチボーイズを迎えた。

  • 11th「ジパング」(4位)

  • 12th「ピンク・タイフーン(In The Navy)」(6位)

  • 13th「波乗りパイレーツ」(4位)

アメリカ進出

 1978年4月にアメリカのレコード会社からのオファーでラスベガスでコンサートを開催し、翌年5月に14thシングル「Kiss In The Dark」を世界40ヶ国同時にリリースした(※日本は9月リリース)。同楽曲は全米ビルボード Hot100で37位にランクインし、日本人アーティストとしては1963年の坂本九「上を向いて歩こう」以来の快挙だった。

 1980年3月から全米3大ネットワークの1つであるNBCのゴールデンタイム枠で冠番組『Pink Lady and Jeff』の放送を開始した。番組終了については諸説があり、視聴率の不振によって5回目で打ち切りとなったと言われているが、2001年にDVDがリリースされるなど現在でも一部のファンから根強い人気を集めている。

  • 14th「キッス・イン・ザ・ダーク」(19位)

  • 15th「マンデー・モナリザ・クラブ」(14位)

  • 16th「DO YOUR BEST」(36位)

解散へ

 1980年4月にケイが日本への帰国を強く希望していたことからアメリカでの活動を終了し、再び日本での活動を始めたが、松田聖子や柏原芳恵といったアイドル歌手が次々とデビューし、以前のような勢いを取り戻すことができず、9月に解散を発表した。

 突然の解散発表から約半年後の1981年3月31日に後楽園球場にて解散コンサートが行われた。当日は悪天候だった関係で空席が目立つことになってしまったが、テレビでも「さよならピンク・レディー」のタイトルでコンサートの模様が生中継で放送され、約4年半の活動に終止符を打った。

 なお、当時の所属事務所は解散から半年で倒産した。

  • 17th「愛・GIRI GIRI」(58位)

  • 18th「世界英雄史」(45位)

  • 19th「うたかた」(48位)

  • 20th「リメンバー(フェーム)」(86位)

  • 21st「Last Pretender」(86位)

  • 22nd「OH!」(46位)

数回にわたって再結成

 解散後、ミー(根本美鶴代)はMIEに改名し、タレント・歌手・女優として活動。1984年にリリースされた6thシングル「NEVER」はドラマ『不良少女と呼ばれて』の主題歌に抜擢され、大ヒットを記録した。

 ケイ(増田啓子)は増田けい子に改名し、歌手・女優として活動。1981年に中島みゆき楽曲提供の「すずめ」でソロ歌手としてデビューし、約40万枚の大ヒットを記録した。

 それぞれがソロ活動を展開する一方で、ピンク・レディーの復活を求める声が多かったことからシングル・アルバムのリリースや『NHK紅白歌合戦』に出場するなど何度か期間限定で再結成を果たした。2003年からは2年間限定で全国ツアーを開催し、音楽番組『ミュージックフェア』ではモーニング娘。と新旧国民的アイドルのコラボレーションが実現した。

 解散発表から30年が経った2010年9月には「解散やめ!」宣言で本格的に再始動することを発表し、その後は全国ツアーや不定期でテレビ出演を行なっている。

  • 23rd「不思議LOVE」

  • 24th「PINK EYES SOUL」

  • 25th「テレビが来た日 / モンスターウェーブ」


主なテレビ番組

  • 『シャボン玉ホリデー』(1976年10月~1977年3月、日本テレビ)

  • 『みどころガンガン大放送』(1977年4月~9月、TBS)

  • 『たまりまセブン大放送!』(1977年10月~1978年3月、TBS)

  • 『気になる季節』(1977年10月~1978年3月、テレビ朝日)

  • 『ヤンマーファミリーアワー 飛べ!孫悟空』(1977年10月~1979年3月、TBS)

  • 『ハロー!ピンクレディー』(1978年4月~9月、テレビ東京)

  • 『UFOセブン大冒険』(1978年4月~9月、TBS)

  • 『24時間テレビ「愛は地球を救う」』(1978年8月26日・27日、日本テレビ)

  • 『走れ! ピンク・レディー』(1978年10月~1979年3月、テレビ朝日)

  • 『NTVザ・ヒット! ピンク百発百中』(1978年10月~1979年9月、日本テレビ)

  • 『ピンクレディー 汗と涙の大晦日150分!!』(1978年12月31日、日本テレビ)

  • 『24時間テレビ「愛は地球を救う」』(1979年8月25日・26日、日本テレビ)

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