「言語ができる」ということ(トルクメニスタンの場合)
言語を勉強していると、「何語ができますか?」と聞かれることがよくあります。私は相手によって答え方を変えますが、多くの場合は「話すことができる」、しかも、「日常会話程度も含む」場合が多いです。その場合は、相手がたくさんの言語を答えることを期待していることがわかるので、トルコ語やトルクメン語だけでなく、上手ではないけどもウズベク語やアゼルバイジャン語も通じるということもあります。しかし、これを基準にすると、カザフ語やキルギス語、ウイグル語などでも(相手に相当の負担をかけつつも)なんとか会話できた経験はありますし、ロシア語でもサウナやレストランの注文くらいはできるし、なんならイランのサウナであまり勉強したことのないペルシャ語でも30分の会話を成立させたことがあります。
トルクメニスタンで「何語ができますか?」と聞いた場合、そう単純にはいきません。相手がトルクメン語が母語であるトルクメン人だとすると、もちろん多くのトルクメン語は「できる」と答えるでしょう。母語ですから自分はトルクメン語ができると思っている人は多いです。しかし、この場合の「できる」はかなり範囲が広く、「日常会話ができる」以上のレベルの人は皆「できる」と答えます。実際には大学生でも文法通りにトルクメン語が書けない人はたくさんいます。
では、ロシア語はどうかというと、ロシア語はちょっと日常会話ができる程度の人では「できる」と言いません。ロシア語は旧ソ連のトルクメニスタンに住む彼らにとって一番親しみのある外国語であり、「読み書きができる」レベルの人も多く、ちょっとやそっとのロシア語で「できる」というと恥ずかしい思いをしてしまいます。実際に「読み書き」にも自信があるレベルでできる人は20代で10人に1人くらいでしょうか(データなし、私の肌感です)。
ロシア語の次に学習者の多い英語はどうでしょう。英語の場合もトルクメン語と同じく、「日常会話」ができれば「できる」と答える人が多い様に思います。実際のレベル的には一握りのできる人だけはできるという感じで、日本と同じ程度なんじゃないかと思います。
このように、普段から複数の言語が用いられている環境のトルクメニスタンでは、その言語によって人々の捉え方は異なっており、「何語ができますか」という問いが共通の物差しをもった質問としての体をなしていないことになります。つまり何が言いたいかというと、この問いの仕方自体がナンセンスということです。せめて何語ができるか問いたい場合には、基準を提示して聞かなければ意味がありません。
皆さんも、相手が「何語ができるか」興味があって質問することがあると思いますが、その場合には基準を設けて質問するか、返ってきた「できる」には様々な物差しがあるということを心にとめておいてください。
※今回の話では過度な一般化を試みました。結局はその人個人のバックグラウンドや教養によって答えは異なるということをご了承いただければ幸いです。
ついでに言うと、自分がわからないのに「○○語話してみてよ」と言うのはやめましょう。我々はあのリアクションのない間に耐えられないのです。もし言ってしまったならば、せめてきちんと大きくリアクションをして、その場の責任を取ってくださいね。
(写真は今回の話とは関係のない、アーネウ遺跡の博物館です。紀元前3000年ごろの人類最古の農耕遺跡として有名です。ここにはニヤゾフ元大統領の像がまだ残っています。)
(文責:奥真裕)