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吐き出す言葉は命そのもの

私の周りには文章が散らばっている

ドキュメントにワード、iPhoneのメモに手帳に日記に。
そしてノートの何ページかまとめてちぎった束に。

自分の外に出す、ことで頭の精神衛生を保っているように思う。

それは人との会話でもいい。
でも、気持ちよく整理するには聞き手に由来するところもあるし
余計に混乱した、あるいは
混乱している文章に感情がまきついてしまって余計ややこしくなった、と
いうことが多々ある。

関連のある出来事でいえば、相談だ。
ありがたいことに、困ったら相談してねと声をかけてもらうことも多く
相談というものをしてきたこともあるのだが

なんだか余計ぐちゃぐちゃになってしまったという経験も少なくない。(今は相談する人やタイミングを選んでいる)
相談の途中で自分の話にもっていっちゃう人、なんかよくわからない結論に結び付ける人、余計なイライラやモヤモヤをかきたてて
相談する前よりなんだかぐちゃぐちゃにして返してくる人。

なんだかこういうことを書いていると
相談しといて上からだな、と思われるかもしれないけど
相談できる人やタイミングを選び、
あとは自分自身でも吐き出せることがめちゃくちゃ大事だと思う。

ただ吐き出したいだけなのに、聞いてほしいだけなのに、ということは
皆あると思う。

私はめちゃくちゃある。

あと、必要以上にかき乱されたくない、という思いも強いし
一旦全部出して、そのあと整理して決断して、というところまで
できれば自分でやっていきたいという思いも強い。
(その整理段階で手伝ってくれる友人には非常に感謝している)

そんな私には書き出すということ、というのが一種の生命線なのだ。
(直接ペンを握ることも携帯やパソコンで打ち込むことも含めて)

綺麗に吐き出さなくていいと思えることが、すごく気を楽にし、
言葉のつまりを減らす。
とつとつと出始めて、そこから息をきったように
ぶわーっと連鎖的に、芋づる式に
言葉が出てくる。
半自動的に。

気づくと昔からこれをやっていた
作ったnoteやアメブロやはてなブログや
ドキュメントや手帳は数知れず
削除したものもあるが、どこかでIDもパスワードも眠ったまま
この世に浮遊しているものもある。

でもそれでよくて
そうさせてくれる媒体が、私の抱えこんだ言葉たちをいつも楽にしてくれた。

ライティング講座というものを習ったことがあるが、
最初の1,2回で行かなくなった笑

構成を考えて文章をかくことや、
セールスライティング、
読者に伝えたいメッセージをわかりやすく、

そういったものが求められている業界はたくさんあると思うのだが
私はそれをする気がないんだということも
ここ数年でわかった

まるで興味がない。
そしてそういった文章を最後まで読めない。

息をするように、
今脈うっている鼓動をまんま文章にするように、
今のリアルタイムでしか出てこない文章や言葉を
出していくことが好きだ。

そして、そうやって作られた創作物が好きだ

吐き出すことは生命線。
吐き出す言葉や文章は命そのもの。


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