それならこんな話をしてみては76
深夜3時、目が覚めた。
いつも枕元に置いてあるボトルの水を思い切り飲む。
息継ぎも忘れ、ただただ夢中で飲む。
夢中だった。
夢中だったはずなのに、ふとあの出来事が頭を過ぎる。
500mlのボトルの水。
この500mlの水を夢中で飲んでいる事が贅沢な事だと。
この500mlの水を次の日、またその翌日。
更にまた翌日と、先の事を考えて飲まなくてはならない状況だったあの日。
自分が手にした500mlのペットボトルの水は
これから来るであろう被災者の為に譲るかもしれないと考えながら少しずつ、そしてありがた飲んだ。
朝配られたおにぎりも、夜の分に。
水同様、新たに来るであろう家族を亡くし一人で来る子供達の為に。
そう思いながら配給される食料を腐らない程度に備蓄しながら頂戴する。
私は大丈夫。
もっと大変な人に。
もっと悲しい人に。
あの時、明るい兆しなど見えなかった。
頑張ることができなった被災者の為に。
コップ一杯の水を飲むということ。
おにぎり一つ、一杯の水。
それを口にできるということは、とても贅沢な事であり、感謝して体内へ取り込むということ。
凍えそうな寒さだった3月11日。
常温の水と作り置きのおにぎり。
心も体も温まる最高の食事であった。