息子、一年ぶりに学校へ行った
息子が、一年ぶりに学校へ行った。
(修了式の翌日、春休みの初日にだが…)
4年生の2月から学校へ行きたくなくなり、5年生は完全不登校。
一歩たりとも学校に足を踏み入れていない。
自己否定に陥り、生きているのも辛く未来に絶望していた時期に、
「学校へ行かなくても生きていける、行かなくても中卒にはなれる。」
という話をしたことがある。
その事実を親が伝え、現実を理解した時、間違いなく息子は救われた。
学校へ行けなくても生きていていいんだと。
その後少し落ち着いてきた時期には、今の学校(中学含め)へ行く以外の様々な学びの場の選択肢について説明した。
その中で、
「どれを選んでも、中卒にはなれる。ただ、どれかを選んで籍を置かないといけない。
選んだからといって必ず毎日通う必要はないし変更は可能。これ以外にも選択肢は沢山ある。
ただ、手続きや準備が必要だから、時期が来たら決めないといけない。」
みたいな話をしたことがある。
籍を置く、という言葉は、良い意味で息子に響いた気がする。
行ってはいなくても、一応小学校に、世間に、見捨てられてはいない、中卒にはなれる、と。
籍を置く、手続きが必要、そんな意味合いで、
「5年生の最後くらいは自分で学校に行っておいたほうが良さそうだ」
と息子は思っていたのではないかと私は感じた。
小学校へは二度と行かない、と言っていた息子だったが、提案され、自らの意志で提案を受け入れ、学校へ行ったのだ。
行く意味を本人が感じれば行くのだ。
苦手な漢字を無理して繰り返し書くイヤな授業以上にワクワクする楽しい授業があれば行くし、
暴言・暴力の激しいクラスメイトと無理して仲良くする以上に安心して楽しく過ごせる会いたい友達がいれば行くのだろうと思う。
一時間程、先生と他愛もない話をし、一緒に電ノコ(図工)をやり、いわゆる通知表を受け取ってきた。
年間「出席すべき日数」205、「出席日数」0、「欠席日数」205、という部分を見て、
「来年は出席日数を少し増やそうかな…」と息子が呟いていた。
もしかしたら、条件を満たさなければ進級できないシステムだったとしたら、何だかしらの方法で無理してでも登校したのかも知れないな、
なんて事をふと思ったが、
どっちでもいいし、もはやどうでもいい。
何のために学校へ行くのか。
親として、色々言いたいし、色々言ってきた。ただ、息子の学校へ行く理由は、息子が見つけていくしかないと思う。
生きる理由もしかり。
とりあえず、死ぬまで生きよう。人はいつ死ぬか分からない。毎日なるべく楽しく生きよう。
「不登校」というワードが出回り、情報が溢れている。様々な情報に惑わされず、息子のペースで、わが家のペースで生きていきたい。
学校に行けたね!良かったね!頑張ったね!という感動の話ではない。
たしかに息子は多少なりとも頑張ったかも知れない。
でも、息子にとっても、私にとっても、人生のただの一日にしか過ぎない。
それでいい。
毎日を生きる。何をするか、何をしないのか、選択し積み重ねていく。
積み重ねながら息子も私も成長していく。
それでいい。
マンションの部屋から見える桜が、今年もまた咲き始めた。咲いて満開になって散って、また咲く。
それでいい。
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