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制作日記:再びの春


再びの春

「春(仮)」の制作を再開。
だいぶ描き込むと予測して一枚だけの制作に集中するはずだった。
しかし、人生は思い通りにいかない。
日々、いろいろな事がある。

秋晴れの空の下で、自身と親の唯一のわだかまりが無くなる言葉に気付き、
精神的に辛い時や制作時にも影響をもらっていた、アーティストが旅立つ。
取り返すことのできない後悔と戻らない思い出に、気持ちが波立ち落ち着かない日々が続く。

記事にもしたけれど、やはり精神的に落ち着くためには絵に描くことだと気付かされる。
文書として言葉にすることは、他人と話す事と近く自分の今の考えや気持ちを納得させるのに良いものだ。
声に出して誰かに伝える時は、理解してもらいやすいようなシンボルとしての言葉を脳内の辞書から引き出し口にする。
しかし、そこにはない気持ちが存在する。
嗚咽になるような悲しみや、すっきりしないモヤモヤなどではないかと思うのだが「はっきりしないその何か」を収めるにはやはり絵を描くことが私には一番合っているようだ。

「春(仮)」ケント紙に乾燥時間の違うインク2種類を使って製作。
髪の毛の輪郭がギザギザに見えるのは、効果として点で縁取っている場所があるからだと思う。

本作品が仕上がっていないのにほかの作品を描く事は、だいぶ完成まで曲道をしているようだが「モヤモヤして、悲しくて」という思いを抱えたまま絵に向かうと全く進まないかバランスが崩れることがある。
精神的な箸休めだと思っていただきたい。
しかし、気持ちを込めて思いを封じる意味合いとして本作品と同じぐらいの心持で描いているのでどれも大切な作品だ。

心機一転、再び「春(仮)」再開である。

一度離れてみると、違うものが見えたりする

一ヶ月と少しか、数字的に長くはないが気分としては数ヶ月ぐらい描いていない感じがする。
当時に思い描いた背景のイメージが変わってしまう事もたまにある。
この「春(仮)」は季節が変わるように、心の変化を表現しようとして制作しているもの。当初思っていた背景は線を重ねることで《暗く混沌とした不安》を描くつもりがったが、作品を二枚描いてから見返してみるとその背景はこの作品に合わないと思い却下した。

乾きの遅いインクを使い背景に桜を白抜きで埋める作業

何かが変わる事に対しての恐怖心であっても、蠢くような暗いイメージは
この絵に感じないのがその理由。
感覚的な事、でもそれが大事だったりする

一つ悩み事があったとして、数ヶ月悩んでも解決しないこともある。
しかし「一晩忘れて寝る」と決めて離れてみて次の日には、なんて事のない悩みになっているか解決策が見えたりするものである。
一度、見る視点を変えてみる
一度、悩みから逃げてみる

見ていた場所から一度離れ再び戻ると、きっと微妙に見る視点はコンマ数ミリ違っている。見ていた場所の精細な記録があっても、正確には戻れないのが人間であると思う。
正確でなくてもいい、最終的に自分に良い形にできればよい。
どんなに悩んで意味合いも決めたイメージでも、日々変化をしていれば見えなくなるのもであることを経験上知っている。
現在、目の前にある作品が良いものになればいい。
そう思っていつも制作するようにしている。

生まれ変わる=冬から春の変化=死から生へ
少し見える蔦(アイビー)の花言葉の一つに「不滅」とあるが怖い意味で
「死んでも離れない」というものがあるらしい
季節を問わず生命力に溢れる姿から「不滅」永遠の生の象徴としての言葉があてられる。
花言葉を読むと面白いといつも思う。
影や布が重なっているところは、ほぼ点を描いている。
線よりも点のほうが流動性を感じるのは面白い。
そろそろ最終段階
点で影を濃くしたりという作業がある
眼精疲労もちとしては悩ましい作業であるが
好きなので良しとする


最近気になる事のメモ

私は目が悪い。
正確に言えば「視野が広過ぎて疲れやすい」
なのでメガネを掛けている。
現在はテレビを見ずにスマホのラジオか音楽を聴く。
テレビは色や演者の過剰な動きなど情報量が多すぎる。
情報収集は、スマホのニュースかVoicyなど音声メディアに頼っている。
文章や絵を描く作業をしているので便利。
最近、1月に出展する作品の詩画集も執筆中である。
詩画集ではあるが、エッセイのようなものでもあるなと読み返す。
自身も音声で過ごしているので、詩画集も音声にしてはどうかと思いつく。
美術館の音声解説のように、自分の作品を音声で解説するのは面白くないか?
noteを始めたきっかけは、自分の作品を知ってもらう事。
良い思いつきではないかと思った。
次の瞬間、自分の声は聴き辛いかなと頭の隅に保留する。
作品ともども手間をかけているので、知ってもらいたいという思いがある。
絵と共々、作品として出したいという思いもある。

セッションで「楽しいと思う事」について意見を交わしてみたら、私は「制作する過程」と思っている事に気が付いた。
結果より過程に充実感を覚えるらしい。
描き終わったらゴールではなくて、その作品の行く末を考えるところまでテンションを維持したいなと思うのだけれど・・
見せ方、発表の仕方などまだ考える余地があるかもしれない。

とりあえず、今は1月の展示に向けてのラストスパートである。

2023年11月14日

詩画集


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