見出し画像

時代にあわせての変化は必要なのでは、と。

ここ最近、お祭り系のトピックを目にすることが増えてきている気がします、コロナ禍の余波もだいぶおさまってきてるのかなぁ、、なんて思いながら。つい先日も(実家にも近い)愛知県の「はだか祭」に女性が初参加なんて話も耳にしたのですが、、お約束のようにポリコレ・ジェンダーでの伝統破壊がまたか?、とかいった論調も散見されたので、少し整理してみました。

愛知県稲沢市の国府宮(こうのみや)神社で、ふんどし姿の「裸男」たちが激しくもみ合う「国府宮はだか祭」には、22日に予定される今回から関連の神事に女性が参加する。約1200年の歴史で初めてのことだ。

国府宮神社によると、厄除けの願いを込めた布で包んだ笹を担いで境内へ運ぶ「儺追笹(なおいざさ)奉納」を担い、さらしや法被に身を包むという。午前中に女性、午後からは従来通り男性が行う時間差方式をとり、接触などによる危険を回避する。その後に行われるもみ合いには、女性は参加しない。

祭りには長年の慣習から、ふんどしなど以外での神事参加が許されておらず、女性は事実上参加できなかった。ここ数年、新型コロナウイルスへの感染対策で男性も着衣で参加した実施回があり、地元の女性団体が昨年、「それが許容されるならば、女性も可能ではないか」などとして神社側へ参加を要望。神社が安全面の確保などを含め対応を検討していた。

出典:「変わりゆく「裸祭り」 犯罪懸念でふんどし着用に女性参加OKも、社会情勢の変化に対応」
(『産経新聞』2024年2月9日)

女人禁制とされていた各地の祭りでも、担い手不足や価値観の多様化などを背景に女性の参加が広がっており、伝統行事が時代とともに変化している。

同神社によると、これまでも女性の参加は禁止されていなかったが、ふんどし姿が慣例だったため加われなかった。地元の女性団体から昨年10月、「女性も何か関わりたい」と申し入れがあり、男女の時間を分けてササの奉納のみ受け入れることにした。

出典:「はだか祭」女性初参加へ 着衣で100人、一部神事に―伝統に変化・愛知」
(『時事通信』2024年02月18日)

神事は長年の慣習から着衣が許されず、女性は事実上参加できなかった。女性団体からの申し入れを受け、男性と時間帯を分けて午前に奉納する形で実現した。

出典:「愛知のはだか祭神事、女性初参加 伝統1200年、法被に身を包み」
(『共同通信(Yahooニュース)』2024年2月22日)

根っこの問題意識としては「祭りの担い手不足」が大きいのかなと、最近、都下の町内会の方々とも同じようなニュアンスでのお話をする機会が増えているなぁ、とか思い出しながら。なお、国府宮神社さんによると、もともと女性参加は禁止されてはいなかったが、ふんどし姿が慣例だったので現実問題として女性の参加が難しかった、とのことのようです。

これが例えば、今まで男性が担ってきた部分を廃止して女性のササの奉納だけにしたとかなら「伝統の破壊」やら「女性の我儘」とやらの言い分も分かりますし、私自身もネガティブにとらえたくなると思います。ただ今回はそうではなく、女性も参加できるような仕組みを追加しただけのようで、これ、何が問題なのでしょう?

時代の趨勢、現実的な課題を踏まえて、現実とすり合わせながら解決策をゆるやかに提示、導入していくのは、むしろ保守本来の在り様の発露とも思います。なんというか、上っ面のタイトルとかで物事を判断するとこうも無様な物言いになるのでしょうか、、他山の石としよう。そのうちコミュニティノートもつきそうですね、やはり集合知の一つの回答ともいうべき機能だよなぁ、ともあらためて。

1200年の伝統を一片たりとも変えるなとの事であれば、東京は府中の暗闇祭りにも幕末辺りの風習を踏襲するよう働きかけてみれば?とか言ってみたくもなりますが、、憲法を一文字たりとも変えるなとか騒ぎ立てる共産主義者と同じ思考に陥っていないか、と少し心配にもなります。なんというか「理想を抱いて溺死しろ」とか、ね。まぁ、主催の神社が許可して、参加者の皆さんが楽しんだのならよかったのではないでしょうか、と個人的には。

祭りとの切り口であれば、個人的には実家近くにある多度大社の「上げ馬神事」の方がどちらかというと気になっています。

三重県桑名市の多度大社で700年にわたる歴史を持つとされる「上げ馬神事」を巡り、馬への虐待に当たるとの批判が相次いでいる。馬が人を背に土壁を駆け上がり、壁を越えられた回数で農作物の豊凶などを占う伝統行事。県無形民俗文化財にも指定されているが、近年は動物愛護の観点から問題視されることも多くなった。新型コロナウイルス禍のため4年ぶりの開催となった今年は、1頭が骨折のため安楽死に。長きにわたり営まれてきた神事が、伝統と新しい価値観のはざまで揺れている。

出典:「揺れる700年の伝統 三重・桑名の「上げ馬神事」は動物虐待か」
(『産経新聞』2023年5月12日)

私自身は、両親が定年まで東京で働いていたこともあり、育ちは東京で(桑名に)地元というほどの馴染みはありません。それでも、夏休みや冬休みに多度大社も何度か訪れたことがありますし、多度山にも父親に連れられて登山・下山した覚えも。

少し前に実家に顔を出した際、その父親も少し気にしていました。伝統行事だしなぁ、との言い方はしていましたが、今年になって引退宣言したとはいえ、定年までは東京の府中にいて、実家に戻ってからも競馬に慣れ親しんできた立場なりに(馬の扱いに)複雑な思いを持っているようです。

私個人としては、行事としては継続していってほしいですが、少なくとも予後不良の危険性があるのなら、極力そのリスクは減らしてほしいなぁと、人馬ともに危険でしょうし。少なくとも2メートルの坂(というより壁?)を登らせるようなことは避けられないのかな、と。まぁ、部外者の立場ではこの辺りが限界でしょうけど。

毎年、普通に競馬場を走らせているだけでも、骨折等による予後不良(安楽死)は一定数は起きてしまいます。一昔前は今以上に馬を酷使するようなケースも多く、使い潰された結果しまいには、なんて話も多く聞きました。不必要に命を消耗するような事は、祭事の本質は残しながらも、徐々にでよいので変えていってほしいなぁ、と願いたい所です(いっそ、ウマ娘のコスプレイヤーに某SASUKEよろしく全力疾走でもしてもらえば、なんて風にはさすがにねぇ)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?