多様性を受け入れて生きるということ
はじめに
私は、いつからか使命感で仕事をするようになっていました。
自分に課せられた任務を、なんとしても成し遂げるために努力を惜しまずに働きました。
幸いにして、私はソフトウェア開発という天職に巡り会う事ができ、仕事は多忙を極めましたが充実感をもって働いていました。
マレーシアで訪れた心境の変化
マレーシアで暮らすようになると、そんな私の心境に少しづつ変化が訪れます。
マレーシアでは仕事に使命感をもって働いている人は少ないと思います。彼らは自分の家族や友人をなにより大切にしています。仕事は人生の一部であり、何より人生を楽しもうという気持ちがあります。
企業のサービスの質は日本より下がります。
これは日本の生活になれている日本人からすると、最初はストレスを感じるかもしれません。
しかし慣れてくると、サービスを提供する側と受ける側の関係は対等なんだということが当たり前の感覚になってきます。
その上で、家族や友人を大切にするマレーシアの人達を見ていると見習う事があるなと思い始めるようになりました。
ベトナムに来て思い出したこと
マレーシアを離れ、今度はベトナムで暮らすようになったある日、仕事でこんなことがありました。
総務担当のベトナム人の女性が、ある朝、持病の腰痛が悪化して動けなくなり、旦那さんに担がれて病院に運ばれました。
電話で連絡を受けた私は「無理をしないようにね」と伝えました。
ところが、彼女はなんと午後から出社して来たんです。
「え!腰は大丈夫なの?」と思わず彼女に話しかけると「いえ、大丈夫ではありません。しかし、腰には痛み止めの注射を打ちましたし、飲み薬も飲みましたので、なんとか仕事できます」
う~ん、頼もしいけど彼女が心配だ。
「無理しないで今日は帰ったらどう?仕事は明日やれば良いから」と私が言うと、彼女は言いました。
「私は今日中にやると決めている仕事があります。それを終わらせるまでは帰りません。」
これには本当に驚きました。私はかつてギックリ腰になった経験があり、腰痛の辛さが良く分かります。腰を痛めた初日は動くだけでも辛いはずです。
再度、帰宅することを彼女に勧めましたが、彼女は自分の仕事を終わらせるまではやらせて欲しいと言います。
彼女は総務の仕事に強い責任感をもって取り組んでくれていました。
これまでの私は、強い使命感をもって仕事をすることを心掛けていましたし、誠実に仕事に向き合い、そしてプロフェッショナルであろうと努力してきました。
マレーシアで暮らした数年間は、私のそれまでの価値観を揺さぶりました。今のままではいけない、私も変わらなければならないと強く感じるようになりましたが、しかし、同時に感じていました。
「日本人として、とても大切なピースが欠けている気がする」
人生と仕事は繋がりをもっていると思います。
海外の経験を通して多様性を受け入れることは出来るようになりましたが、ハノイで暮らすようになり、本当の意味での多様性を受け入れるキッカケのようなものが見つかったと感じたのでした。
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