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ロックという宗教家をロール信じてる。

どうも。ご無沙汰はしてませんが。木之元です。
バンドやってると思想がどんどん固まってきて自分のバンド哲学なる物ができる。
それは基本的に人によりけりだが、あまりに醜くて曲や作品に昇華するべきではない。
少なくとも僕はそうだ。

ただ、生まれてしまった哲学をどこにやるでもなくただただ自分の頭の中だけで飼うには荷が重い。
奴らは育つし暴れる。定期的に外に出してやらないといけない。ロックンロール論について話す。

つまんないなと思ったらすぐ読むのやめてね。

まず、僕は先に言っておきたいのだが「ロックンロール」という言葉が一人歩きし過ぎてしまったのをよく感じる。友人間の会話でもよく聞くし言われた事もあるのだが、何か人と違ったモーションを取ったらすぐに口を揃えて皆「ロックンロールだね。」とか「ロックしてんね。」みたいに言うじゃない?
胸に手を当ててください。お前だよお前。

音楽ジャンルをしてるって何?

僕だってそりゃロックンロールしたことある。
ロックンロールをプレイして今も生活しようとしている。いや、わかってる。お前らが言いたいこと。
生き方の話をしているのだ。ということですよね。
生き方に音楽ジャンルはない。ないぞ。

ほんならスムースジャズな生き方も、フリーソウルな生き方も、ファンクな生き方も、ジャマイカレゲエな生き方も、メロディックスピードメタルな生き方も言えよ。と思う。ジャンルによっちゃあ人種問題にも関わってくる。

Tシャツの首元を切ることがロックンロール、パンクスなんだとしたら、何がジャズでなにがソウルなんた?とも思う。

面倒くさいよね。こんなモテない男性代表みたいな思考になってしまったのもロックンロールのせいなのでありますが。だから僕はちゃんとした言い換えを考えてきた。君らに問題提起するだけして困らせてさよならなんてことはしない。あと今電車で隣に座った殿方が臭い。

ロックンロールに恋狂いしてるのだ。だから、生き方もすこしあの鼻の高い人種も国籍も違うロックスターに重ねたりしているのだ。それはもはや僕の中で崇拝の域に差し掛かっていて、音楽教のロックンロール宗派というマイナー宗教の一教徒なのである。つまり、

ロックンロールを信仰してはるんですね。

これが正解だ。音楽という神話の、ロックンロールという神様を信仰してるようなものだ。僕は日常生活でロックンロールをプレイすることはないが、常にロックンロールを信仰している。信仰し過ぎて、宗教を独自解釈してしまい、自分の中のロックンロール教祖様からruggirlの木之元清士朗という洗礼名をいただき、布教活動をしているのだ。所謂、洪秀全みたいなことだ。
キリスト教を独自解釈して、自らの支配者としてキリスト教を置き、独自解釈して太平天国を築いた。

僕は今、ロックンロール様に魅了され、ロックンロール様の命令を元に言いなりになって生活してるのである。こうなってくると僕が最初に言ってた音楽ジャンルとは離れるね笑
支離滅裂でごめんね。

だからロックンロールに恋狂いすることはあっても、僕自身がロックンロールになることなど絶対にありえないのだ。神様だから。気安く触れたらいけないから。

僕の行動や言動は、全てロックンロールスターが
定めたことに基づいて行動している。音楽ジャンルではない。これが今回の総括だ。

気安くロックンロールって言うなよ。

最後に一言。

ロックンロール。

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