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「エモい」という言葉の再定義

最近よく聞く、「エモい」ってどういう意味だろう。

サムネイルの画像は、旅行先で撮った写真。
たまたまカップルが写り込んだ。
渡してあげたかった。
エモい。

「エモい」でググると、「感情が動かされた状態」「感情が高まって強く訴えかける心の動き」、若者言葉、と書いてある。
「この歌詞エモい」なんて言ったりする。
泣けるまではいかんけど、心が動かされる歌詞、みたいな意味だと思う。
とりあえず、一言で表すのが厳しい時、その曖昧さを表現する言葉が「エモい」って認識で、大まか正しいはず。

まあググっただけじゃつまんないから、僕が思う「エモい」の使い方を書く。
僕が「エモい」を使いたかったとき、それは、
元カノと行った場所に、訪れた時だった。
この前、一人で恵比寿に降りた。
恵比寿で降りるのは初めてだと思っていた。
でも、見たことのある光景がひろがっていた。

思い出した...(笑)

俺ここに前の彼女と来たんやった。
懐かしい気持ち、哀愁が心の中に広がった。
「懐かしい」、昔自分が触れたものに対して心がひかれる様子。
「哀愁」、もの悲しい気持ち。

僕はその温度差のある2つのことばの、ちょうど、中間点の気持ちだった。
どうやって表現するんだろう。
うーん。
これぞ、「エモい」では??
恵比寿ガーデンプレイスという、大きなクリスマスツリーが飾られる場所に続く橋。
クリスマスに、あの橋を渡りましたね。
その橋は、エモかった。

中間点をぴったりさす日本語を、僕は知らない。
無知なだけかもしれない。
けど、多分そんな日本語はない。

友達に、「エモい」ってどういう意味?って聞かれたことがある。
そのとき、「懐かしいって気持ちと、哀愁の中間点、それがエモいだと思う。」って答えた。
友達の返答は「エモいなあ。」だった。
意味わからん。
けど、友人にとって、確かに僕の答えはエモかったんだろう。
新しくできた単語って、個人の基準によって、当てはめる場所が変わると思う。
感情を示すことばは特に。

若者ことばのなかに、今までこんな機微を表すものはなかったと思う。
「あげぽよ〜」はひたすらテンション高いし、「マジ卍」はひたすら程度が高いし、「タピオカ」はひたすらキャッサバだ。
エモいって言葉が(emotionalをとった言葉だから厳密には英語だけど)日本語としてあらわれてくれて、僕は嬉しい。

最初に、「エモい」ってどういう意味だろう?と書いた。
その答えとしては、「人それぞれが思うエモいは違うから、とりあえずその機微の範囲全てにあてまるのがエモい」ってことで。

「エモい」ってことばのおかげで、懐かしいと哀愁の間の範囲にある感情を、表現することができるようになった、と書いてきた。
でも、こうやって新しいことばが生まれるたび、また別のことばが圧迫される。
例えば、哀愁を感じる、これを「エモい」の一言で片付けることは可能だと思う。
「エモい」って言葉が、哀愁の範囲にまで迫ってくる。
感情が個人の解釈である以上、その範囲は誰かが一意的に決めることはできないからね。

新しいことばが、生まれるたび、また別のことばが圧迫されて消えるってことは、昔からされてきた営みだ。
特に感情を意味することばは、他のことばと相対的に定義される、だからこそ、すぐ他のことばに取って代わられる。

こうやって考えると、ことばって生き物みたい。
そりゃ人間という生き物の感情を表してるんだから、当たり前、か。
でも、絶滅危惧にあることばをたまに使えば、ちらっと教養がうかがえる。
とりあえず、これを読んでくださってる人は、「哀愁」を使ってみてほしい。
「オオ」ってなる、多分。

能ある鷹は爪隠すって?
能ありすぎる鷹は、空を綺麗に飛ぶってことよ、しらんけど。

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