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第741回 酒が飲みたいならうちで作ればいい

1、職場にご恵送シリーズ62

近隣市町から送られてきた文化財の調査報告書を独断と偏見に基づいて紹介していきます。

本日ご紹介するのはこちら

仙台市文化財調査報告書第485集

仙台城跡15

ー令和元年度 調査報告書・造酒屋敷跡総括報告書ー

仙台藩祖 伊達政宗が仙台城内で酒造りをさせた跡。

2、伝承から真実へ

仙台市では途中東日本大震災での中断をはさみ、平成20年から30年までの6次に渡る確認調査を行なって多くの成果をあげました。

伝承によると伊達政宗は柳生宗矩から大和国の酒造りの職人を紹介してもらったそうです。

柳生宗矩といえば徳川家の剣術指南役として名を馳せ、のちに大和国の大名になる人物です。

彼がまだ3000石の旗本だった頃から親しく交流していたそうで、仙台藩士にも柳生新陰流の門弟がいたようです。

それはさておき、紹介してもらった職人の名は又右衛門。

出身地にちなんで榧森という苗字を名乗ることを許し、城内に屋敷を与えたとされますが、その場所が問題です。

仙台城の当初の登城経路にある、門のすぐ脇。

そもそも城内に職人が屋敷をもらうなんて前代未聞です。

よっぽど酒好きだったのか。

確かに色々と酔っ払った時のエピソードもありますが…

寛文4年(1664)の絵図にはすでに造酒屋敷が描かれており、今回の発掘調査で出土した陶磁器も17世紀後半までは遡るモノが豊富なので、

伝承は真実性が高くなってきました。

模式図-2

出土遺物を見ると備前焼の大甕がまず目を引きます。

大きな水甕としては、ミヤギ一般では常滑などが多く、

西国からやってきた職人が持ち込んだ、という物語との親和性が高いですね。

備前焼自体は、三の丸跡で水指や徳利、擂鉢の破片が4点、二の丸ではほとんど確認できず、追廻地区というところでは盤や瓶類など6点のみが現在まで出土していますが、大甕はありません。

城下ではなおのこと。

さらには酒造りに使われるような木桶、柿渋が塗られた木栓、小さな坏が多数出土するなど特徴的な様相を呈しています。

さらに異例なのは榧森家の家紋である二つ丁子文の瓦出土。

榧森家紋瓦

出土量の少なさから門など一部の建物に象徴的に用いられたものだと考えられますが、

お城の中に、堂々と家紋を入れた瓦をあげられる職人ってすごいことです。

3、お酒の使い途

これだけ優遇された職人が作ったお酒はどのように活用されたのか。

まずは城内で消費されたことでしょう。

こちらは当たり前なのか資料はあまり残されていません。

記録によると伊達宗実(亘理?涌谷?いずれにしても一門)、伊達宗泰(政宗四男)、伊達宗信(政宗六男)、伊達宗高(政宗七男)、千菊姫(政宗娘)や寺の住職(東晶寺、瑞巌寺)など親しい人に贈っていたようです。

ただ江戸屋敷で交流のある諸大名への贈答品は別なモノが用いられていたようです。

現代人的・かつ個人的な感覚からすると、全国から集まる江戸だからこそ地酒が喜ばれるような気がするのですが、しかも全国でも稀な、城内酒蔵ですよ?

実は政宗の代には全国レベルで戦えるほどの味に仕上がっていなかった、とかあるんですかね。

いずれにしても伝承や断片的な資料で語られていた造酒屋敷の様相が発掘調査でだいぶわかってきたことは間違いありません。

4、早くそんな日がくると良いですね

いかがだったでしょうか。

たとえ当時は酒造りの職人の地位が高かったとしても、

城内で作ってしまおうというのは、やはり政宗の独創性ゆえでしょうか。

この場所はちょうど仙台市博物館(現在は臨時休館中)がある三の丸から本丸の方へ登っていく途中にありますので、

世が治ったらぜひ散策しながら、思いを馳せてもらえればと思います。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。

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