第759回 近世の始まりに作られ、その時代の終わりを生み出す刀たち
1、日本刀レビュー49
今回は週刊『日本刀』49号をご紹介します。
ちなみに前回はこちら。
2、今回も同じ時期の作刀が
巻頭の【日本刀ファイル】は康継。
近江国下坂村(滋賀県長浜市)の出身で、
慶長の頃(1596〜1615)に越前国北ノ庄(福井県福井市)で結城秀康に見出されます。
秀康の推挙により、徳川家康、秀忠の前で鍛刀を披露し、
葵の御紋を許されるとともに、「康」の字を与えられたと伝えられています。
掲載作は土方歳三が所持したもので、会津藩主松平容保から授かり、
最後は歳三の義兄佐藤彦五郎の手で伝わったものです。
当時流行していた「南蛮鉄」という貿易によってもたらされた鉄鉱石が原材料に含まれ、地鉄がやや黒ずんでいます。
南蛮鉄を用いた鍛法は江戸中期には途絶え、
幕府も一時期復興させようと図りますが、成果が上がらなかったと伝えられます。
続く【刀剣人物伝】は井伊直弼。
実は居合の達人でもあり、名刀も数多く所有していたようです。
もともと生まれは14男!後継ぎにはなれず
部屋住みといって質素な暮らしを強いられていたようです。
禅と居合の修行に明け暮れた彼に藩主の座が回ってきたのは36歳の時だったようです。
彼の父、井伊直中は自ら刀を鍛え、刀剣台帳を編纂するほどの愛刀家でしたが、
直弼が父のコレクションからあえて選んだのは一竿子忠綱や長曽根虎徹という新刀でした。
共に彦根城博物館でみることができるようです。
新たに流派を起こそうと秘伝書を認めるほどの腕前だった直弼ですが
桜田門外で襲撃され、刀を抜くことなく絶命したのは無念であったことでしょう。
【日本刀匠伝】は重国。
こちらも新刀、慶長年間に徳川家康の御用鍛冶であったと言われています。
のちに徳川頼宣が紀州に転封になると、これに従い当地に一代流派を築きます。
寛永2年に頼宣の命で将軍徳川家光に献上するための刀を売った際には
大いに好評を得たとされ、
神明の冥助露顕し、我また喜悦の眉を開く
と頼宣が感状に認めるほどだったようです。
作品の多くは個人蔵のようですが、和歌山県立博物館にも所蔵されているようです。
最後に【現代の日本刀カルチャー】として紹介されているのは
池波正太郎の時代小説。
名作『鬼平犯科帳』や『剣客商売』にも名高い日本刀が描かれているようです。
鬼平こと長谷川平蔵の愛刀は井上真改で剣客商売の主人公秋山小兵衛も井上真改を差料にしているのはどんな意図があるのでしょうか。
より深く考えてみたくなる命題です。
3、新刀とそれを愛したものたちの最期
いかがだったでしょうか。
今回は康継に重国、井上真改と新刀の話題が続きました。
平安時代末期や鎌倉時代に活躍した古刀の刀匠たちと比べると
かなり資料が残っていても良さそうなものですが
職人たちの素顔はなかなか伝わってきません。
刀匠自身の個性ではなく、作品の個性で語る、という職人魂なのかもしれません。
また井伊直弼もそうですが、坂本龍馬なんかも
剣術の腕は申し分ないのに、最期はそれを活かせず仕舞いというのは宿命なのでしょうか。
この不条理こそ世の理なのかもしれませんね。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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