第726回 観察は武器になる

1、読書記録111

今回ご紹介するのはこちら

五野井隆史2020『ルイス・フロイス』吉川弘文館人物叢書。

ちなみに前回はこちら。

2、名を残すには

ルイス・フロイスといえば

戦国時代の真っ最中にヨーロッパからキリスト教を広めるためにやってきた宣教師の一人です。

学校で習う宣教師といえばフランシスコ・ザビエルですが、

彼に始まって最後の宣教師がやってきた1643年までの間、およそ100年間で

のべ300人も来日していたことはあまり知られていません。

なんでも先駆者が一番名が残るということでしょうか。

ではなぜ一番乗りでもないルイス・フロイスの名が残っているかというと

『日本史』という書物を書き残したことに他なりません。

日本での活動レポートであるのはもちろん、本来は「六十六国誌」と「日本論」を備えたまさに西欧人から見た最初の日本の歴史書だったのです。

その経験と文才を認められて執筆したこの著者は、我が国についての西欧人の理解を深めることに大変有意義だったことは疑いの余地はありません。

3、このために生まれたと言えるほどの仕事

本書ではルイス・フロイスの日本での歩みが丁寧に綴られており、

先日レポートした松永久秀の話とも接点があり理解が深まりました。

さて、内容をいくつか論点を絞ってご紹介すると、

まずは前史、というか日本に渡るまでの日々をどう生きたのかということから記述が始まります。

生まれは諸説ありはっきりしませんが、1532年生まれという説が有力。

1534年生まれの織田信長とほぼ同世代ですね。

日本へ布教に来ることになった、言い換えれば選ばれた理由はというは

頑健さと文才だったようです。

西欧から気候も文化も違う世界へ飛び込んで、

時には迫害を受けながらも

人の心を動かすまで根気強く活動する、

その精神力と体力は使命感があったとしても誰にでもかなうわけではありません。

実際、日本に到着して早々に、平戸を治める大村氏の内部抗争に巻き込まれ、

度島という全島民がキリシタンの島に上陸するも

教会は火災で焼失し、藁葺きの粗末な家で四ヶ月も熱病に苦しむことになります。

なんとも厳しい試練を与えられたものです。

上洛を志して堺の町につけばそこも火災。

本願寺から身を隠すために降雪のなか船の上で夜を明かしたことも。

京都の政争、法華宗をはじめとする宗教対立の中で

織田信長の庇護を受けたあたりから状況は好転しますが、

最後は豊臣秀吉のバテレン追放令にあって、34年間の日本での暮らしを終えます。

4、敵も味方もまずはよく観察すること

そしてもう一つ。

著者も注目しているのは、フロイスの観察力について。

『日本史』の執筆にあたっては、上司から冗長に過ぎる、と批判されつつも

史実を詳細に書き記すことにこだわり、

日本の風俗や景観をポルトガルやインドと対比させながら語る姿勢は

学者然とした風格を感じます。

特にライバルである仏教に対する眼差しは注目に値します。

たまたま葬儀の様子を見て

死後に子孫たちに名誉が伝えられることを望んでいるため、豪華で壮麗な儀式が行われる

と評しながらも、その手法に学びながら、日本初のキリスト教式の葬儀を執り行っています。

また禅宗に対しては

肉体についてのみ癒し、瞑想によって自ずから一切の両親の呵責を消し、消滅させること

と的確に分析しているところは脱帽です。

そして有名な信長評。

長身で痩せており、髭はすくなく、声がよく通る。過度に軍事的鍛錬に耽り、不撓不屈の人である。

正義と慈悲の所業に心を傾け、不遜でこよなく名誉を愛する。

決断ごとは極秘とし、戦略にかけては甚だ巧緻にして、規律および家臣たちの進言にはほとんど従わない。

まだまだ続きますが、よく短時間の観察でここまで人物をとらえることができるものだ、と関心してしまいますね。

5、歴史家からみた歴史家

いかがだったでしょうか。

宣教師としてよりも、歴史家としてのフロイスを本書の著者は評価しています。

彼は見たこと、知っていることすべてを余すところなく書き切ろうとしたようである。
それが、歴史を書く、歴史を残す最良の目的であり、方法であると確信していたのであろう。

彼のこの歴史家としての矜恃のおかげで、我々は外国人からみた戦国時代を知ることができるのだと思うと、感慨深いですね。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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