第909回 人はやはり物語を必要としている

1、読書記録142

本日ご紹介するのはこちら。

前川一郎編2020『教養としての歴史問題』

社会学者の倉橋耕平氏、日本中世史の呉座勇一氏、近現代史の辻田真佐憲氏ら気鋭の研究者が寄稿する意欲作です。三者とも1980年代生まれで、私と同世代というのも手を取るきっかけになりました。

2、社会はこれを求めている

執筆者紹介にも

歴史学会の不作為に警鐘を鳴らし続けてきた世代を代表する歴史学者

とあるように、大衆向けの有象無象の歴史エンタメ業者と戦い続けてきた呉座氏についてはもちろん本作でもブレがなく力強い言葉が盛り沢山ですが、

今回掘り下げて紹介するのは

辻田氏の「歴史に「物語」はなぜ必要かーアカデミズムとジャーナリズムの協働を考えるー」にしたいと思います。

ここで言われる物語は

事件や出来事に意味づけを与え、ときにわかりやすく図式化し、人物の本質を生き生きと魅力的に描写することで、過去の事象と読者をなめらかに接続する技法、およびその成果物

と著者は定義しています。

つまりこの意味でいうと歴史修正主義者が用いる

近代の日本はすべて正しかった
大東亜戦争はアジアを解放する聖戦だった

と言う言説も「物語」になるわけです。

一方で真面目にコツコツと検証された事実を積み上げていく方式の歴史学は分が悪い、

「物語」を再評価することも必要ではないか、と著者は主張します。

まず論証されるのは人の時間は有限であること。

日本人がどのくらい本を読んでいるか、というデータがまず示され、

文化庁の「国語に関する世論調査」により、月に1、2冊しか本を読まない人と全く読まない人を合わせて85パーセントになる、と示されます。

さらに歴史関連の本に絞るとどうでしょうか、と問いかけられます。

この現実を見据えず、

これくらいの基本文献は読みなさい、なんて誰にも響かないんですよね。

この現象を専門家の「実証主義的マッチョイズム」と独特の言い回しで表現します。

そうなんですよね。

宇宙の話とか化学的な話だと専門家の話が正しいことが想像できても

歴史だと専門的な本を読んだ訳でもないのに知っている気になっちゃうんですよね。

ネットだとそれなりに詳しい人もいて、実証的な歴史の作法を理解している人も見かけますが

著者は「実証が物語を成敗したぞ」という物語が面白く、痛快で受けているだけのようにも見受けられる、と評しています。

この文章はまさに我が意を得たり、という所で

Twitterでよくみかける「あやしい」歴史を叩く人たちを見かけたときに感じた違和感がうまく言語化されていてすっきりしました。

「大まかな見取り図」、さらに言うと「大体これくらいでいい」という思考の枠組みを提供することが大事だと著者は言います。

政治家や官僚、企業経営者など社会の指導的な立場にある人々がよく手にするのも、多くの場合こう言うものです。

そうなんですよ。

歴史学者が直接社会を動かすのが難しいのであれば、

こういう世界を実際に動かしている人たちに向けたアプローチが必要になってくるのです。

極端に偏った思想に基づいていても、耳障りの良い物語ではなく、

より確からしいけど、難解すぎない物語を提供していくこと

これが大事なんですよね。

専門家や歴史マニアの知見が、不毛なあら探しに回るのではなく、一般向けの歴史書をレベルアップさせるために使われる、そんな回路を作れないものか。

この著者の言葉には共感しかありません。

まさに私が常々思い悩んでいたところもそこにあるのだ、とひとりごちています。

誰でも当然なにかしら偏っている。それを自覚しながら、それでもさまざまな意見に耳を傾け、より多くの知識を獲得していくなかで、できるだけバランスを取ろうと不断に努力する。

これも私が目指していることでもありました。

なんでこんなに私の気持ちを代弁してくれるのか、と感動すら覚えます。

学芸員として市民の前に出る我々としても肝に命じておきたいと思います。

3、座談会やりたくなる

いかがだったでしょうか。

ちょっと最後は興奮しすぎておかしな文章になってしまいましたが

この論考は何度も参照したくなるし、この言葉を使って私自身も誰かに語ればいいのだ、と勇気をもらえます。

辻田氏が「座談会文化」を見直すべきと主張し、最後の章で実際に座談会が行われているのはアツい展開です。

呉座氏が語る網野善彦像もすごくワクワクするものでしたので

日本中世史に関心のある方はぜひ一読をお勧めします。

近年の歴史学者の中でも特に論壇誌などへの露出で

一般社会にも影響力を持っていたであろう網野氏でもできなかったところに

ぜひ呉座氏には到達していただきたいですね。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。


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