第661回 蜀の発掘成果がもっと欲しいところ

1、読書記録101

同時並行で読んでいる本、

読み終わる時が重なるとき、ってありますよね。

本日ご紹介するのはこちら

関尾史郎2019『三国志の考古学』

昨年は『三国志展』も開かれましたし、

出土資料に基づいた三国志像が注目を集めるようになってきましたね。

2、やっぱりそうなのか

まず第1章・第2章で語られるのは曹操高陵の話題。

2016年に正式報告書『曹操高陵』が河南文物考古研究院から刊行されたことから、

疑義を払拭して曹操の墓で間違いない、と言うことになりそうです。

例えば「魏武王常所用」という石碑の扱い。

曹操が家臣や親族らに賜与したもの、みる見方や

一種の常套句として僻邪の意味合いがあったとする考え方もあったようです。

曹操の噂をすると曹操が現れる

と言うように日本でいうところの「噂をすれば影」の意味で使われるほど怖ろしい代名詞になっていたのだから

悪霊除けにもなったと言われても、ありそうな話、と思えてしまいますね。

著者は他の陵墓の例を挙げて曹操の墓で問題ない、という意見のようです。

あとは盗掘や本人の希望(薄葬を命じたこと)のためか副葬品少ないですが、規模や構造が同時代の他のお墓と比べて段違いであることも根拠にしているようです。

そうしてみると、その墓の中から出土した画像石から復元された絵画に

どんなことが描かれていたのか、ということに俄然興味が湧いてきます。

稀代の英雄曹操はその墓をどんな絵で飾らせたのか。

あるものは春秋時代の晋の文公の話だったり、斉の管仲と晏嬰という名宰相の話だったり、

伯夷・叔斉や杞梁の妻、という『史記』や『孟子』に登場する広く知られた説話をモチーフにしているものだったりします。

この他「七女為父報仇図」という儒教的な思想に基づくものが描かれているところからも

法家志向(道徳よりも法によって人々を教化していこうという考え方)の強かった

曹操といえども従来の冥界観や儒教的世界を完全には排除できなかった、と著者は指摘しています。

お墓には本人の思想が色濃くでるもの、という解釈がどこまで通用するかはわかりませんが、少なくとも曹操が亡くなる前から築造が開始されていたことはわかっています。

まだまだ研究は道半ば、と言うことでしょうか。

3、死後の世界は現世と変わらない

続いて取り上げられるのは呉の武将、朱然の墓。

君主である孫権と若い頃から共に学んだ親しい仲であり、

戦でも蜀の関羽を捕らえるという抜群の功を立てたことからも立身出世を遂げ、最後には大司馬・当陽侯に列しています。

朱然の墓から出土した文物の中でも著者が注目するのは、なんと名刺。

当時も現代と似たような使い方がされていたようで、

仕官を求めたり、姓名・出身地を明らかにするものとして用いられていたようです。

著者も述べているように、若くして将軍として名を挙げた朱然が名刺を渡す場面がそれほどあったとは思われませんが、

死後の世界で出会う人に渡すために副葬した、という考え方であれば面白いですね。

4、日進月歩の世界

いかがだったでしょうか。

専門家の著書を読むと、ここ20年くらいで膨大な発掘調査成果があがっていることがよくわかります。

特に木簡類は点数も多く、まだまだ研究途上にあるということが伝わってきます。

2000年近く前の英雄豪傑たちの生き様が

どんどん実感を持って語られるようになるのはワクワクしますね。

今後も最新の情報を仕入れていきたいと思います。

ちなみに!

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来る3月1日にイベントをやります。

宮城県松島町で歴史講演会。

テーマは近代。

すでに50名を超える申し込みをいただいておりますが、

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ご興味のある方はぜひご連絡ください。

鉄道や建築の話がメインとなりますので

今までの常連さんとは違った客層の方からも申し込みをいただいています。

このnoteにコメントでもいいですし、

TwitterでもFacebookでもなんでも連絡いただけると嬉しいです。

さらにお時間ある方は講演会終了後オフ会に参加しませんか?

まったりご飯かお酒を味わいながら歴史の話ができればと思います。

連絡お待ちしております。

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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