第791回 和歌をもじって瓦に刻む教養高い職人がいた
1、職場にご恵送シリーズ70
本日ご紹介するのはこちら
山形県山形市埋蔵文化財調査報告書 第39集
『史跡山形城跡発掘調査報告書 二の丸土塁』
山形城の報告書はご紹介したことがありましたが、
どんどん新しい成果が公表されていくのは素晴らしいですね。
2、瓦割りと職人の愚痴
前回にも少し触れましたが、
本丸御殿と本丸の堀・土塁は文化庁の補助を受けて復元事業を、二の丸では国交省の補助を受けて公園整備を実施中。
今回報告されるのは、平成28年度から計画された二の丸東大手門から北門にかけて土塁の上を走る園路の改修に伴う事業について。
(以下図版の出典は報告書より)
その成果を端的にまとめると
江戸時代の城絵図に描かれている艮櫓と肴町向櫓の石垣を検出し、現存している城門の石垣と石材や技法が異なっていることが分かった。また土塁上を廻っているいる土塀の礎石を確認し、屏風折れという防御的な工夫が時期によって変わることが確認されました。
ということらしいです。
調査当時の報道記事。
報告書をめくってみて、個人的にすごく気になったものを2点だけ紹介しますと、
①意図的に壊された瓦
肴町向櫓付近で検出された、瓦が敷き詰められた遺構の中に、
瓦当文様がわからなくなるほど、人為的に打ち欠かれたものが見つかりました。
これは城主であった堀田氏の家紋、堅木瓜文を軒先につけた軒丸瓦にのみ行われているので、
堀田氏が佐倉に転封した延享3年(1746)、松平乗佑が入部した段階だと考えられています。
いわゆる「城破り」の一種で、城主が変わったことを象徴的に表現する作法の一つであったのでしょう。
②禁煙の瓦
出土した瓦の中にはいくつも文字を刻んだ資料がありますが、
そのうちの一つに
よのなかにたへてたはこかなかりせは
とあります。
この世の中にタバコなんてものがなければなぁ。
意訳するとそんなニュアンスでしょうか。
いうまでもなく、これは在原業平の
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
という和歌をもじったものであり、
江戸時代初期の職人さんがこの和歌を知っていたことを示す興味深い資料です。
実は江戸時代の前半には禁煙令が出されたことがあり、その鬱憤が込めらていたことを想像させます。
その理由としては、火事の原因になることや、反社会勢力とのかかわり、現金収入になるたばこ葉の生産が多くなることで米の生産に影響がでることなどがあったようです。
実は単純にお金がなかったり、家族に止められていただけかもしれませんが。
300年以上も前の人間がすごく身近に思えてしまう出土品です。
3、瓦礫も城の賑わい
ちなみに山形城の発掘調査、櫓付近だけでも数トン単位の瓦が出土しているそうで、全てを資料として保管し続けることは困難。
基礎整理実施後に調査したトレンチ内に埋め戻して現地保存を図っているとのこと。
まあ収蔵庫には限りがありますからね。
整理作業を実施して、報告書が刊行される頃には発掘調査は終わって
開発対応なら新しい建物が立ってたりしますから
普通は埋め戻しなんてできないんですが、特殊な状況ですね。
ともかく今後も山形城の発掘調査成果からは目が離せませんね。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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