第712回 職人が栄華を極めることも

1、日本刀レビュー41

今回は週刊『日本刀』41号をご紹介します。

ちなみに前回はこちら。

2、刀の装飾性

巻頭の【日本刀ファイル】は安綱。

反りを持つ湾刀を作り出したと言われる、平安時代の刀匠です。

すでに18号の【日本刀匠伝】に登場していますが

天下五剣の一つ、「童子切」や「髭切」など名だたる刀を製作しています。

本作は来歴不明の期間が長いものの、

長府毛利藩に長らく伝来し、現在では刀剣博物館に所蔵されています。

平成29年に春日大社で錆びた刀を研いだところ、古伯耆の刀工の作品であることがわかったという話題がありました。

断定はできないものの、安綱作の可能性が高いということで、

春日大社では令和元年12月から翌年の3月1日まで

最古の日本刀の正解 安綱・古伯耆展

が開かれていました。

本誌では『大菩薩峠』をはじめ、多くの時代小説に登場する安綱の刀の魅力にも触れられています。

続く【刀剣人物伝】は井伊直政。

徳川家康に仕え「井伊の赤鬼」と呼ばれる武勇で恐れられ、

徳川四天王として重宝されるとともに、彦根藩の初代藩主となりました。

愛刀家としても知られ、彦根城博物館には現在も直政差料とされる刀が数多く納められています。

伝長船倫光や来国光など名刀揃いですが、あまりエピソードは伝わっていないようで、

唯一「織田左文字」が織田信長から次男信雄に伝来し、蟹江城の戦いで戦功を挙げて直政が譲り受けた、とされますが、

当時、同じ陣営にいたとは言え、織田信雄が徳川家康の家臣である直政に直接刀を授けるなんてありますかね。

よく豊臣秀吉が味方になった大名の家臣を優遇して引き抜こうとした、ようなイメージで語られていますが

それと似たようなことを信雄がやっていたのでしょうか。

さて、【日本刀匠伝】は祐乗。

今回は刀装具、つまり刀本体ではなく、

鐔や目貫、小柄などの装飾品を制作する金工家が紹介されています。

祐乗は後藤基綱の嫡男として、

美濃国、現在の岐阜県大垣市あたりに生まれます。

彼が金工職人となったきっかけのエピソードが秀逸なので紹介すると、

足利義政の近習として仕えていた時に、讒言にあって獄中にあり

桃の種に彫り物をして手慰みにしていたところ

あまりの精緻さに驚き、認められたというものです。

評判は時の帝、後花園天皇にも届き、宮中秘蔵の宝剣の刀装を行ったといわれます。

それまでの刀装具が単純な紋様の連続だった世界に

人物や禽獣の姿を躍動感たっぷりに描くという革新を起こしたという評価がされているようです。

絵師の狩野元信とも交流があり、その造詣に影響を与えていることが推測されます。

その後は御用金工師として隆盛を極め、4代目光乗の代には「京都三長者」の一角を占めるまでになったというから驚きです。

そして【日本刀ストーリー】では「女性と刀」というテーマで語られています。

女人禁制の風習が根強かった刀匠の世界に唯一の例外として現れる

「女国重」大月源。

国重は備中青江派の末と言われる水田鍛冶で、

源の父伝十郎が早くして亡くなり、後を継いだ伯父の伴十郎も病に倒れたという悲運に見舞われます。

代々続いた刀匠の秘伝が失われることを惜しみ、女子である源に伝授したというわけです。

並々ならぬ努力の末、受け継がれた技術は明治に入っても絶えることなく続いていったとのことです。

現在でも研師や金工の道には女性職人がわずかにいるだけで、刀匠はいないということ。

刀剣女子というくらい女性にも愛好家が広まってきた現代にあって

いずれは女性にも開かれた職になっていくのでしょうか。


3、こだわりをどこに

いかがだったでしょうか。

今回初めて【刀匠伝】に金工師が登場しましたが

実は週刊「日本刀」シリーズでは【刀装具ぎゃらりい】として毎号特徴的な刀装具も紹介されていました。

今号ではさらに巻末の【日本刀BASIC】という用語解説でも笄(こうがい)が詳しく取り上げられています。

本来マゲを直したりする身嗜みの道具だった笄ですが、次第に装飾性が増し、

笄を見れば持ち主がわかる

と言われたほどこだわりが込められたものになっていくようです。

今の紳士達にはその役割を果たすものがあるでしょうか。

戦国武士たちのお洒落さに感服ですね。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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