第739回 初代文化財保護委員長のあいさつ

1、国会会議録検索システム

を使って「文化財」という言葉が国会でどう語られてきたのかを

少しずつみていくこのコーナー。

ちなみに前回はこちらですが、


初代文化財保護委員会(文化庁の前身)の話題は前々回に触れていますので、

そちらも併せてご覧いただければと思います。


2、第8回国会 参議院 文部委員会 閉会後第7号 昭和25年10月6日

初代委員長となった高橋誠一郎氏が挨拶を述べています。

委員構成としては「三年委員」「二年委員」「一年委員」に分かれており、そのうち「三年委員」は職務代理者、つまり委員長に何かあった場合に代理を務めるという役割が課せられ、矢代幸雄氏が務めることになったようです。

役割によって任期が違う、というのは当時は一般的だったのでしょうか。

次触れたのが執務室の話題。

これまで社会教育局長室だった部屋を充てるとのことで、

社会教育局長は日本芸術院長が使っていた部屋に移動。

玉突き式で日本芸術院長は部屋がなくなったとのこと。

こんな細かなことまで議事録が残る国会で語られていたんですね。

それから博物館(東京国立博物館)にも分室が置かれ、

高橋委員長は文部省の本庁か博物館の分室のどちらかには毎日出勤するとのこと。

他の委員は毎週土曜日の会議以外はなかなか常勤は難しいようでした。

そして手始めに全国の都道府県から社会教育課長を集めて訓示をしたと。

当時はまだ県レベルでも文化財課・文化財保護課というものがなかったので、社会教育課が文化財を所管していた、ということのようです。

まず取り掛かることとして、国宝の再調査を挙げ、そのために専門審議委員の人選を急いでいるとの発言。

続いては博物館と文化財研究所の機構改革に取り組むことが表明されています。

これに対して各委員から予算や無形文化財の保護について質問が飛び交っていましたが、その中でも埋蔵文化財の話題をご紹介しますと

高良とみ議員からの質問に対し、

文部省の担当者からは

これまでは地元の高校などが主体となって発掘調査が行われる傾向があったが、

文化財保護法ができたので、今後は届出が必要になる、

さらに国の直営事業としても発掘調査を行なっていく、との答弁がなされています。

これを受けて高良議員からは

無秩序な発掘を避けるために、国が許可権限を持つ方が望ましいのではないか、

戦後の復興道半ばにあって、十分な予算もない中で直営事業で発掘するのはいかがなものか、と反問されています。

もう少し国民の文化財に対するコンセンス、それと文相のおつしやるよき感覚と、よき教養と、よき歴史的研究が育つように、戰後の国土、国民の文化財を保護するという点で御考慮願う面を期待したいと思います

との発言には感ずるところがあります。

70年あまり経過した現在でも国民の文化財保護意識は育ったと言えるでしょうか。

文部省の担当者の答弁は歯切れが悪く、

許可権はないのでありますけれども、即ち届出義務だけがあるのでありますけれども、文化財保護委員会といたしましては、法の五十七條によりまして必要のあるときにはその『必要な事項を指示』することができる。それから又その届出なり、或いは又遺失物法によりまして警察を通じ、教育委員会の方へ届け出られたものに関して調べたり、或いは又届出を見た結果、必要な場合においては発掘を禁止し、若しくは中止を命ずることができるということになつておるのであります。従いまして許可権はありませんけれども、これに対して発掘の禁止、中止を命ずることができるというようになつております

と述べるに留まっています。

当時から危惧されていた課題に対して、ほとんど改善されていない現状にあるのではないか、と暗い気持ちになります。

どうしてこの文化財保護法制定という第一歩から

埋蔵文化財保護の強化という方向に進まなかったかは、

継続して国会会議録を読み進めていけば見えてくるのかと思います。


3、課題のトレンド

さて、今回も一つの委員会での議論を見てきたわけですが、

新たな制度の立ち上げという、手探りで行う部分が会議録にも現れているのが非常に興味深いですね。

埋蔵文化財については前節で詳しくご紹介しましたが、

無形文化財についての関心が高いことも改めて思い知りました。

歌舞伎や文楽をどうやって保存していくか、

記録映像の制作に本腰を入れるべきではないのか、

税制優遇をもっと図るべきではないか、

など国会議員の意識も高いことがわかります。

伝統芸能関係者との距離が近かったということもあるのでしょうか。

今後も注視していきたいところです。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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