第1470号 いつかは漢詩を読めるようになりたい

1、禅寺で漢詩を学ぶ

本日は先日参加したこちらのご紹介。

宮城県松島町の瑞巌寺で老師による漢詩についてのご講話。

全4回のうち第1回目は4月14日に開催されました。

2、漢詩は人類の宝

初回ということもあり、まずは漢詩の歴史から。

老師は中国春秋時代にまとめられた『詩経』に始まり、8世紀初頭、唐の時代には完成した、と評していました。

日本最古の漢詩集『懐風藻』は天平勝宝三年(751)に成立したとされていますが、藤原不比等やその子ら最上層の貴族は除くと

大多数の漢詩作者は下級漢人で、当時の先進国である唐で作られる漢詩とは雲泥の差である、とも。

「和臭」、つまり変に日本化している、という評価もあるそうです。

ようやく江戸時代になると文治政治のもとで広く流行を見せ、

彼の国の漢詩と比べても遜色ないものになっていったようです。

石川丈山、新井白石、荻生徂徠、太宰春台、服部南嶽という文化人の名前が次々と挙げられます。

明治維新後は富国強兵の名のもとに漢詩の位置が低下し、戦後はより軽視の風潮が見られていく、という分析。

そこまで説明して、本日の本題、五山文学へ。

五山というのは臨済宗の寺院の格のこと。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%B1%B1

簡単に言うと、五山文学とは中世において最も学問的に洗練されていた僧侶たちの表現のことです。

ここからはいくつか具体的な作品を取り上げ解説をしていくのですが、全てを紹介するのは難しいのでいくつかだけピックアップすると

まずは寒山の詩。

禅宗の画材としてあまりにも有名な中国の僧侶です。

奇矯な振る舞いばかりが注目され、浮世離れした理想的な禅僧のイメージを抱きがちですが、

漢詩を残していることは今回初めて知りました。

その数306首にものぼるとのこと。

しかもその内容はかなり人間臭い部分があるとのこと。

引用はしませんが、ぜひ直接ご確認ください。

そして日本の僧侶、別源円旨(1294-1364)。

https://kotobank.jp/word/%E5%88%A5%E6%BA%90%E5%86%86%E6%97%A8-129560

時の中国、元に留学し京都五山の一つである建仁寺の住職にもなった人物です。

彼が越前国、現在の福井県に隠棲しているときに詠んだのが

「題善應可休亭」という漢詩。

美しい詩の中に屈折した気持ちが表現されている

と老師は解説されていました。

その名の通り、休むために作られた庵で余生を過ごしているのに

世間が私を放っておかない。

実はこの時南禅寺の住職に、と招かれていたとのこと。

南禅寺は京都五山のさらに格上とされた、禅宗最上位の寺院。

悟りを開いて、俗世への執着を捨てたような人物でも心が揺さぶられてしまうものなのでしょうかね。

3、漢字変換も追いつかない

流石に禅宗寺院で学ばれてきた僧侶、しかも東北一の禅寺の老師たる方に解説してもらうと

情報量が多くて、ついていくのが必死でした。

禅僧の名前なんて音だけ聞いても全然漢字変換できなくて

後から調べるにしても限界があるので、失礼ながら講義終了後に質問しに行ってしまいました。

これもまた貴重な体験。

5月、6月、7月と毎月定例でやっていただける、と言うことなので

またその報告もできればと思います。

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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