第680回 裏も表も知り尽くした人物が愛するのは

1、読書記録106

今回も堪えきれずに一気に読んでしまいました。

伊藤潤『茶聖』

この作家さんの選ぶテーマも人物描写もすごく相性が良くて、

もっと味わって読みたいのにページをめくる手が止まらなくなる、という感じです。

歴史小説ということで、結末はネタバレもなにもありませんが、

グッときた表現など抜き出してしまう部分が一部ありますので

新鮮な気持ちで作品と向き合いたい方はぜひ先に本書をお読みになってから

感想を分かち合えれば幸いです。

2、物事には裏と表があってこそ

主人公はだれもが知る茶人、千利休。

侘茶という新たな価値観を生み出した、というイメージは

それほど違和感なく受け入れらるかと思いますが

世の静謐を勝ち取るために影の支配者となって、権力者を傀儡のように操る

という野心をもって行動した人物と言われると、度肝を抜かれるのではないでしょうか。

野心、と書きましたが、ギラギラしているわけでもなく、

作中に描かれる妻子や友人、弟子たちとの会話のやりとりには

むしろ穏やかな人柄を感じさせるものが多いです。

作品が佳境になるにつれて、秀吉とぶつかり、いつか取り返しのつかないところにまで到達してしまうと、

本人も自覚していますが、親しい人はみななんとか踏みとどまってもらえるよう懇願しています。

読者である自分も

もういいではないか。すでに余人を持って到達できない境地までたどり着いて

世の静謐だって、利休どののおかげでいい方向に向かっている。

と言いたくなるような心境になってしまいます。

千利休にここまで感情移入してしまったのは初めての感覚。

作中で題名である「茶聖」と利休を呼んだのは、とても意外な人物で

分け隔てなく人と接する利休を描くにくい演出だと思いましたし、

最後に最愛の妻に別れを告げる場面で

桜は美しすぎる。梅のように、ほどよく美しい方がよい。

と呟く利休は素敵すぎます。この描写を読んだ瞬間、

私も好きな花を問われた時、梅と答えようと決意しました(笑)

3、誰もが描く人物だからこそ

そして周辺人物の造詣も大きな魅力です。

まずは織田信長。

最近、研究書などを読んでいると築城技術にしても、楽市楽座にしても、鉄砲の運用、戦術などどれも先進性が否定されるような成果が次々出てきて

なぜあれほど力を持ったのかが逆に不思議に思ってしまうほどでした。

作中で描かれる信長は洞察力に優れ、決断が早く、先を見通すことができる人物として描かれています。

結局のところ、手段はなんでもいいのです。

目的のためであればなんでも利用して憚らない、過程よりも結果を何より重視することで勝ち上がってきた、ということなのでしょう。

そして石田三成。

彼ほど描く人によって人物造詣が両極端なキャラクターはそうそういないでしょう。

伊東氏が描く三成はもう初登場から嫌味やら皮肉やらで見事に敵役に。

もちろん彼には彼なりの正義があって、利休とは相容れない部分があるのでしょうが、

どうしても利休が大きな器で表現されてしまうと相対的に三成の器が小さく見えてしまいますね。それはそれで愛おしいと感じる時もあるのですが。

4、言葉だけでなくその感性も学びたい

いかがだったでしょうか。

読了感のある大作の魅力の一端でもお伝えできればと思います。

最後にご紹介したいのは、またもや利休が死をも辞さない覚悟をしていると知った妻との時間を過ごす中で

この瞬間こそ永劫なのだ

と呟いた場面。

愛しい人との別れを惜しみ、この時間が永遠に続けばいい、

と思うことはありきたりですが

すでにこの瞬間が永劫になっている、という感覚。

利休は、この世への未練を立ちきれた気がした。

そう述懐しています。なかなか到達することのできない境地ですね。

やはりこのような表現を描くことができるのは

年季を経た人生経験豊富な作家さんだからこそではないか、と脱帽しました。

多作な作家さんゆえ、次にどの作品を読むか決めかねてしまうのが玉に瑕。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。



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