第549回 時代の空気を読むこと

1、読書記録 82

ちくま新書に『昭和史講義』というシリーズがあります。

戦争へ進む政治史を追うシリーズと【軍人編】という人物にスポットを当てたものがありますが、

私が最初に手にとったのは【戦前文化人編】でした。

「まえがき」にありますが、戦前は現代よりも格段に格差の強い社会。

思想文学はもちろん、映画、演劇、美術などあらゆる文化領域にマルクス主義が及んでいた時代があって、やがて戦争に協力する軍国主義に転向が進んでいくようになります。

そして、敗戦を迎えると一気に価値観が反転するという稀に見る大変な激動の時代。

そして現代、戦後70年をすぎ、当事者たちの多くが世を去ったことから、ようやく客観的にこの時代を扱えるタイミングになったとも記しています。

つまりはこれからの時代を見通す好著だということになりますね。

2、目次

本書は思想や文学、芸術、建築、音楽など多様な分野の知識人たちがいかに生きたかを取り上げるという企画。

目次を見ただけでその幅広さに圧倒されます。

第1講 石橋湛山

第2講 和辻哲郎

第3講 鈴木大拙

第4講 柳田国男

第5講 谷崎潤一郎

第6講 保田與重郎

第7講 江戸川乱歩

第8講 中里介山

第9講 長谷川伸

第10講 吉屋信子

第11講 林芙美子

第12講 藤田嗣治

第13講 田河水泡

第14講 伊東忠太

第15講 山田耕作

第16講 西條八十

3、見たい社会

この中で、取り上げてご紹介するのは、

まず第6講の保田與重郎。

皆さん、ご存知でしょうか?

かく言う私は恥ずかしながら、本書を読むまで存じ上げない方でした。

小林秀雄と並んで昭和を代表する文芸批評家とのこと。

本書中の表現を借りると

戦後とは長く抹殺状態に置かれていた時間

だったから知られていないようです。

保田は東大二年生に在学中から頭角を現し、26歳の時にはすでにその地位を確立していたとのこと。

膨大な量の著作を進める一方で、召集され、終戦は中国の陸軍病院で迎えたといいます。まだこの時35歳。

学習院時代の先輩だった三島由紀夫をはじめ、多くの文芸界の巨人達が保田の文章に魅了されていたたようです。

彼の根本にあったのは古典研究を通して日本の「偉大な敗北」を見通すことだった、著者は記しています。

その局地が『後鳥羽院』論。

自らの生き方と重ね合わせられるような、その文芸論はぜひ読んでみたくなりました。

そしてもう一人だけご紹介すると

第14講の伊東忠太。

現代でもよく言われる

法隆寺の柱に見られるエンタシス(柱の中央が膨らむ形状)はギリシャ建築に由来し、アレキサンドロス大王の東征を経てアジアに伝播、

日本にも到達したとの言説の創始者です。

著者曰く、建築史界からの論説で最も訴求力のあったもの

と評価され、作家の中村真一郎、思想史の和辻哲郎、歴史家の林屋辰三郎など大きな影響を受けた知識人も少なくなかったと紹介されています。

しかし、これが不正確だということが、すぐ次の章で述べられる衝撃。

実は伊東自身もアジアを旅するなかで雲岡の石窟寺院より西にエンタシスの柱を見つけることができなかったと述べていること、

そもそもアレキサンダー大王の東征がインドまで及んだ時代より100年も前に

エンタシスの柱は見られなくなっていたこと

など驚くべき根拠が挙げられています。

ではなぜこれほどまでに人口に膾炙したのか、

そこには伊東が研究を通じて遂げたい想いと、当時の知識人が望む幻想が一致したということに尽きるのだ、という風に読み取りました。

現代に生きる我々も、結局は時代が求める幻想に取り込まれてしまう場合と、自らを貫くことができる場合とで、何が違うのかをここから考えていけるのではないでしょうか。

4、総括すること

いかがだったでしょうか。

もっと紹介したい内容はたくさんあるのですが

キリがないのでこの辺りにします。

ただ一つ残念だったのは編者で、「まえがき」も執筆していた筒井清忠氏の「あとがき」が欲しかったところです。

まあこれだけ多様な執筆者が書いた内容を総括するのは

大変なことかと思いますが、

通読して読者が感じたことと、編者が伝えたかった思いが一致するかどうか

違うなら違うで、それを楽しむという、答え合わせのような知的営為をしたかったところです。

とはいえ、近くて遠い昭和の空気感を味わうには優れた新書であると感じました。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。



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