第832回 本家を凌ぐ分家がある内が華
1、日本刀レビュー58
今回はディアゴスティーニの『週刊日本刀』58号をご紹介します。
ちなみに前回はこちら。
2、今回は新しい時代の話が多い
巻頭の【日本刀ファイル】は正広。
肥前(現在の佐賀県)の刀匠です。
江戸時代になって各地で刀が作られるようになり、鍋島藩でも忠吉という刀匠をお抱えとし、その分家に当たるのが正広です。
19歳の問いに藩主鍋島勝茂に作刀を献上すると相州伝の正広を思わせる作風を感じ、その名を名乗るようになったそうです。
本家の忠広が年少であったことから本家よりも優遇され、評価もされていたようです。
掲載作も初代と二代の合作ですが、代々正広の名を継承して、明治時代には10 代まで続いたとのことでした。
掲載作の銘文には南蛮鉄で作られたことや、試し斬りの名手である山野加右衛門の名前もある珍しいタイプです。
【刀剣人物伝】は北条早雲。
戦国大名の先駆けのイメージがありますが、
近年の研究では幕府と密接に連携した活動を行なっていたことが明らかになってきました。
刀のエピソードとして最もインパクトがあるのは日光一文字の件。
銘がないので詳細は不明ですが、日光権現社にあったものを請け出して佩刀にしたとされます。
その後は代々、北条氏に伝来しますが、豊臣秀吉の小田原攻めに際して、講和交渉に尽力した黒田官兵衛に譲ったとされています。(ちなみに今は福岡市博物館に所蔵されているとのこと。
【日本刀匠伝】は守家。
備前国長船という激戦区にあって、名刀を数多く生み出した刀匠です。
土浦市立博物館には徳川綱吉から藩主土屋政直に下賜された太刀があるかと思えば、
10代将軍家治が久能山東照宮に奉納されていた太刀も掲載されています。
コラムに名前が「家を守る」に通じることから重宝もされていたようです。
そして前回に引き続き、【日本刀ストーリー】は本阿弥家の系譜と称して江戸時代の分家について紹介がなされています。
まずは宗家7代目光心の娘婿である光二が加賀藩のお抱えになった経緯が語られると共に
その長男が名高い本阿弥光悦。
寛永の三筆とも騒がれるほど書道にも造詣が深いらしいですが、
養子となった光嵯は対照的に刀剣にのみ集中して、研ぎと磨きにかけては当代一の名人と讃えられていたようです。
ペンネームで狂歌師となった光恕や
明治時代に多くの弟子を育てた16代目の琳雅など
代々個性的な人が生まれる家なんだなと納得してしまいました。
3、歴史は繰り返される
いかがだったでしょうか。
今回の隠れテーマとしては本家と分家、という見方もできるのではないでしょうか。
肥前正広にしても、備前守家にしても、基本は本家を助けるという立ち位置がありつつも、時には本家をしのいで名刀を生み出してしまうのです。
本阿弥家も同様です。分家筋である「十一支家」からも優秀な研師や鑑定師などが生まれています。
これもまた刀匠だけではなく、建築でも美術でも文学でもそうですが、
安定した時代が長く続くと、「家業」として固定化していくものなのでしょうか。
本末にかかわらず、家として家業を全うすることに価値が見出さられる時代。
平安時代の和歌の家と同様ですね。
このような離れた時代の類似性が見えそうになったときって、
とっても嬉しくないですか?
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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