第1270回 マグロ漁の縄文集落

1、読書記録287

今回ご紹介するのはこちら

気仙沼市教委2022『波怒棄館遺跡』
防災集団移転促進事業(大沢B地区)に伴う発掘調査報告書 気仙沼市文化財調査報告書第26集

波怒棄館遺跡(はぬきだていせき)

東日本大震災から復興、高台移転に伴う発掘調査の報告書です。

なお本稿に掲載した図版は全て本報告書からの抜粋です。

2、骨からわかること

波波怒棄館遺跡は平成24年から25年にかけて約6000㎡を調査されました。

竪穴建物跡などは見つかっていませんが、縄文時代前期を主体とする遺物包含層(出土遺物がたくさん含まれる地層)が確認されています。

本来あったであろう建物跡などは後世に破壊されて残っていなかったと推定されています。

「館跡」の名前から想像される中近世の遺構も希薄で、今回の時期不明の掘立柱建物跡とわずかに陶磁器、古銭が出土したのみだったようです。

縄文時代の出土遺物は膨大で様々な成果を上げていますが、今回取り上げたいのはマグロです。

奈良文化財研究所の松崎哲也・山崎健両氏が寄稿しています。

発掘調査中に取り上げたものと、持ち帰った土をふるいにかけて確認されたマグロ属の出土点数は6017点で椎骨が多いとのこと。

椎骨とは分かりやすく言えば背骨に当たるところで一個体当たりの骨の数ももともと多い部分です。

まず着目されるのは出土の状況です。

連結した状態での出土が10例以上あったとのこと。

このような事例は岩手県大船渡市宮野貝塚、陸前高田市堂の前貝塚、宮城県気仙沼市磯草貝塚、でも見られたとのことで、実際に大きな塊でマグロが持ち込まれたことがわかります。

帯状に鰭棘がまとまった状態で出土するのも3例確認されたとのことで

マグロの鰭棘は刺突具として貴重な道具の材料となっていたことが知られているのでその供給地であったことがうかがえます。


また椎骨の位置をグループ単位に分類することで、特定の部位のみではなく、全身が持ち込まれていたことが分かったとのこと。一方で頭骨少ないとの記述もあり、頭だけは別で処理されて、集落に持ち込まれる前に廃棄された可能性もあるのかな、と思います。

出土した骨から推定されるマグロの体長は最小で15~20㎝、最大で210~230㎝とのことで、体長200㎝を超える個体は少なく、40~50㎝の個体が皆無という特徴があるそうです。

 これはマグロが回遊してちょうど南下している時期で三陸沿岸にはいない成長段階にあたるとのことで、縄文時代のマグロの回遊パターンは現代と変わらなかったことを示唆しています。

極め付けは漁や解体の方法に迫る痕跡群。

三角柱状の石片が嵌入した椎骨が見つかっていますが

刺突痕と考えられるが尖頭器や銛先のようにとがっていないとも指摘されています。

つまり廃棄後や埋没過程で生じた可能性も排除できないとのこと。


一方で粘板岩製の板状石器が刺さっている資料は

解体に用いられたであろう石器と類似したもので

カットマークと呼ばれる解体の痕跡を伴う資料も数多く確認されていることから

マグロの解体について具体的な手順を考察できるような好資料と言えるでしょう。

3、マグロをめぐる

いかがだったでしょうか。

石と骨角製の利器しかない縄文時代に、

時には2mを超えるような大型のマグロを獲って、集落に持ち込み、

解体していたことが実感できる調査成果でしたね。

ある程度浅瀬に打ち上げられてしまったものを労せずして獲れることもあったのかもしれませんが、舟を出してマグロ漁に挑戦したこともあったのでしょうか。

内湾の最奥に位置するような我が町の貝塚からもマグロの椎骨は出土するのですが

さすがにそこまではマグロも入ってこないでしょうから

これは気仙沼のような外洋に面した集落から交易品として回ってくるものなのかもしれませんね。

マグロは現代の我々の生活にも身近な魚なので子どもたち向けの縄文時代講座でも話すネタになりそうです。

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。



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