見出し画像

第752回 小さな手づくねの儀礼用具

1、職場にご恵送シリーズ65

近隣市町から送られてきた文化財の調査報告書を独断と偏見に基づいて紹介していきます。

本日ご紹介するのはこちら

いわき市埋蔵文化財調査報告 第189冊
泉第三土地区画整理事業地内埋蔵文化財調査報告Ⅹ
『泉町A遺跡 御前田A遺跡 御前田B遺跡 ―古代集落跡の調査—』
2020 いわき市教委 公財いわき市教育文化事業団

平成元年から始まった土地区画整理事業に伴って、平成18年度から30年度まで実施された発掘調査の報告書です。

2、集落の中心がどう移動していったか

表題の三つの遺跡が立地する滝尻は小名浜海岸平野に形成された浜堤に位置しています。

これまでの調査成果から古い時代の地形がだいぶ復元できるようになっているようです。

周辺の地形

(特に断りがない図版は報告書より抜粋)

湾から入り込む海水と流れ込む河川が作り出す複雑な湿地帯があり、

それに囲まれた微高地の上にいくつもの遺跡が点在している形です。

福島県のいわき市は東北地方でも仙台市に次ぐ人口を要する大きな自治体で、

江戸時代には磐城平藩10万石が分与された磐城泉藩がこの地にありました。

内藤・板倉・本多と譜代大名が治めています。

中世には菊田荘に属し、周辺には7カ所の城館跡が確認され、南北朝時代の軍忠状(戦働きの功績を示す根拠史料)に滝尻城という名前が見えます。

さらに遡ると古代には菊多郡もしくは岩城郡に属し、条里制水田も見つかっていることが特筆されます。

今回の調査成果でもっとも注目されるのは古墳時代から古代にかけての

土地利用の変遷が明確であること。

古墳時代前期から中期は北方の折返A遺跡・菅俣B遺跡に遺構が目立つのに対し、

古墳時代前期の遺構分布

古墳時代後期から飛鳥時代になると泉町C遺跡が中心になり、

古墳時代後期の遺構分布

奈良・平安時代は神力前B遺跡・折返B遺跡と今回報告の泉町A遺跡・御前田A・B遺跡が目立ちます。

奈良平安時代のの遺構分布

とこのように入り江を囲む浜堤上を集落の中心が変遷していることが明らかにされました。

3、古墳時代の儀礼道具

出土遺物からも一つだけ話題を提供しますと

湿地帯の地層から手づくね土器がまとまって出土しています。

手づくね土器写真

写真は白黒です。

古墳時代のもので、もちろん当時はろくろで挽いた形の整った土器が

お皿やお碗として使われていますので

あえて小さな粘土の塊から手でこねて作ったということになります。

利便性ではなく別な要素が重視された、ということであれば祭祀的なものと考えがちです。

事実、本報告書では水辺の祭祀に関連するもの、と考えているようです。

少し調べてみると

梅本綾「水辺の祭祀と諸相とその意義」『天理大学考古学研究室紀要3』という論文の中で、

古墳時代の祭祀に関わる遺構が比較され、水が湧き出る遺構でのみ手づくね土器が出土していることが指摘されていました。

さらに『日本書紀』神武紀に

天手挟八十枚嚴瓮を造作りて、丹生の川上に陟りて、用て天神地祇を祭りたまふ

とある「天手抉(あめのたくじり)がまさに手づくね土器にあたる、と推定されていました。

畿内だけではなく地方でも同じような儀礼が行われていたということが明らかになってきたのは素晴らしい成果です。

ちなみに茨城県土浦市でも

古墳から見つかった棺の上に置かれていたり、廃棄され使われなくなった竪穴建物に投げ入れられたような出土状況を示す事例もあるようで

様々な場面での儀礼に使われていたことがわかります。


いかがだったでしょうか。

大きな開発事業で遺跡が破壊されてしまいましたが、

古代の集落動向や祭祀のあり方に一石を投じる貴重な成果が公表されたということになりますね。

今後もどんどん最新情報をシェアしていきたいと思います。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?