第849回 歌枕としての松島14

1、第92段から第100段まで

今週もやってまいりましたこの企画。

ついに百首まで到達しました。

先週までは概ね時代順にご紹介してきましたが、最後は種々の理由で取り上げてこなかった人を中心に取り上げています。

Twitterで毎日呟いている #松島百人一首  を一週間分+αご紹介します。

Wikiレベルですが作者の経歴の紹介と

個人的な感想を付け足しています。

また【私訳】はあくまでも素人の私の解釈なので

間違いなどありましたらご指摘いただけると嬉しいです。

2、ラストスパート

第92段 松島や梳器の水を手向らん玉より来るか結ぶかす

円空

【私訳】
松島の瑞巌寺に参詣して手水を使う。手で掬ってみると、まるで玉露かと思えてくる。

円空は江戸時代初期の修行僧にして、仏師で歌人というマルチプレイヤー。

全国各地を行脚し、生涯で12万体の仏像を彫ったとされています。

松島の瑞巌寺にも円空仏だと言われる彫像があるので、この地を訪れている可能性は高いと思います。

第93段 月見てもたつるけふりは心あるあまともいわじ松か浦島

頓阿

【私訳】
月を見ていても浜辺から煙が立ち込めてきて、風流心がわかる海女がいるのだろうか、この松が浦島に。

頓阿は鎌倉時代の後期から南北朝時代にかけての歌人。

若い頃は比叡山や高野山で修行し、やがて時宗の僧侶に。

西行をしたって諸国を行脚したと言うから松島にも来た可能性は高いですね。

「松が浦島」がミヤギの松島かどうかが自信が持てないので紹介を後回しにしていました。

第94段 逢うことをいつしかとのみ松島の変わらず人を恋ひ渡るかな

柿本人麻呂

【私訳】

次に会う日をいつか、とはっきりと決めていなかったが、相変わらず恋しいあの人の訪れを待っている 

柿本人麻呂が松島の和歌を詠んでいると言うのは古い松島町誌には掲載されていましたが、出典が不明瞭なので後回しにしていました。

もしかすると仮託なのかもしれません。

なんだか歌の雰囲気も人麻呂の時代よりも新しい印象的を受けます。

第95段 松島や御島は見ずと久方の月の都のほかをたずねば

聖徳太子

【私訳】
松島にあるという雄島はまだ見た事はないが、月の都と言われるその場所をたずねてみたいものだ

これは間違いなく仮託の歌でしょう。

古い地誌には聖徳太子が達磨大師の訪れを待った島だから松島だ、と言う時代が錯綜している地名由来譚が記録されていますが、聖徳太子が生きた時代には名勝松島は知られていません。

それはそれとして月の都に例える風流さをご紹介したくて選びました。

第96段 松島のあまの濡衣なれぬとて脱かへつてふなをたためやは

紫式部

【私訳】

松島の海女の濡れた衣は着なれないからと脱いでしまうとかえってたおやかさを増してしまうなぁ

こちらは『源氏物語』に登場する和歌。まだ該当箇所を探す作業はしていないので、いずれ稿を改めて。

第97段 春秋の花もみぢより朝夕にけしきの変る松島の浦

玉円真砂

【私訳】
春の花から秋の紅葉へと変わるよりも、朝と夕方の変化の方が大きい松島の景色よ

これもすごく好きな和歌なんですが、作者の来歴が全く不明で、現在調査中です。

読者の方で何かご存知の方がいらっしゃいましたら、ご教授ください。

第98段 みちのくに世をうき島ぞありという関こゆるぎのいそがさらなむ

小野小町

【私訳】

みちのくに浮島という雅な名前の島があるという。関をこえて急いで歩く。

これも仮託の歌。全国各地に類例があると思うのですが、晩年、容色の衰えた小町がひっそりと隠れ住んだとされる場所が松島にもあります。

第99段 けふはげにうつつぞいとどめづらしきこのごろゆめとみつるしまやま

細井平洲

【私訳】
今日はようやく夢にまでみた珍しい島々を眺めることができた

平州は尾張国の農家の生まれでありながら、学問を修め、米沢藩主上杉鷹山の学問の師となったことで知られています。

第100段 ながき夜のやみぢにまよふ身なりともねぶりさめなば君を尋ねん

見仏上人

【私訳】

長い夜の暗い道のような人生を迷いながら進む身だけれど、眠りから覚めたら貴方を訪ねていきたい。

最後を飾るのは松島の雄島で修行をしていたとされる聖、見仏上人。

瞬間移動のような術を使って遠くの霊場と行き来をしていたと言うぶっ飛んだ伝説に彩られながらも、

後の修行僧が理想とした存在であることは間違いありません。

3、見て詠んだ?

いかがだったでしょうか。

そう、とあるフォロワーさんから

松島を実際に見て詠んだ歌はどれくらいあるのか?

と言うご質問を受けたので、ここで回答してをしたいと思います。

可能性が高い、と私が考える人ということであれば、

源重之、西行、覚如、宗久、道興准后、伊達政宗、綱村、吉村、重村、斉宗、慶邦、朴斎道也、堀田正敦、泉崎真畔、小宮山楓軒、菅江真澄、春永逸史、伊藤左千夫、斎藤茂吉、岡麓、結城哀草果、佐藤佐太郎、円空、頓阿、細井平洲、見仏上人

あたりでしょうか。

人数だけでいうと全体的で4分の1くらい。

時代的には近世と近代が中心です。

もちろん実際に訪れているからこそ選定した、ということはありますが。

古代から中世にかけての大部分の歌は京都からろくに出たこともないようなお公家様ばかりで、すでに作り上げられた、実際よりも美しい情景の松島をお決まり通り詠み込んでいる、という感じでしょうか。

むしろ彼らのおかげでまだ見ぬ景勝地、遠く離れて訪れることのできない憧れとして魅力を増幅させる効果もあったのかもしれませんね。

明日からもうお昼に投稿するネタがなくなってしまう、というのは少し残念ですが、またなにか企画していこうかと思います。

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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