第739回 三代目の功績
1、日本刀レビュー44
しばらく間が空いてしまいましたが
今回は週刊『日本刀』44号をご紹介します。
ちなみに前回はこちら。
2、徳川・前田・島津の話題
巻頭の【日本刀ファイル】は猪切正真。
正真は三河国田原を拠点とした刀工ですが、その出自には諸説あるようです。
かの「村正」の弟子の一人で、伊勢国千子派から分かれて三河文殊派を起こしたとされています。
天下三名槍の一つである「蜻蛉切」も正真の手によるものです。
その立地から徳川家の御用達として多くの作刀を行ったようですが、
掲載作は酒井忠次所用となったものです。
あるとき徳川家康の狩りに随行し、突然現れた猪を一刀両断したことから
その名が付いたとされています。
その後大坂の陣で手柄を立てた忠次の四男、松平甚三郎久恒に下賜され、伝えられていきます。
現在では愛知県岡崎市の「三河武士のやかた家康館」に所蔵されているそうです。
(現在は臨時休館中)
続く【刀剣人物伝】で取り上げられているのは前田利常。
加賀前田藩の2代目藩主となった人物です。
前田利家の4男として生まれ、兄利長が当主の際は他家に人質として出されるなど苦労をしますが、
男子に恵まれなかった兄の養子となり、徳川秀忠の娘と婚約するなど地位を固めていきます。
大坂冬の陣では功を焦り、徳川家康より叱責されるなどしますが、夏の陣では雪辱を果たしました。
その後も外様の大藩として幕府に疑われないよう意を尽くした逸話がいくつも残っています。
刀剣に関しても贈答の品として大いに用いたことが知られています。
例えば「戸川志津」という短刀はもともと備前の宇喜多家の重臣、戸川達安が所持していた名品ですが、彼が御家騒動で致仕した際に売りに出され、それを利常が購入、徳川秀忠に献上したと伝えられています。
「会津新藤五」も会津蒲生家に伝わっていた短刀ですが、断絶の憂き目にあい市場に出たのを利常が購入。徳川綱吉に献上したとされています。
さらに刀工を優遇し各地から招いたため、金沢には20以上の刀工が腕を奮っていたとされます。
その粋を集めたのが、承応三年(1654)に刀工22名に孫綱紀の藩政10周年を祝う刀を打たせたもので、
富山県高岡の瑞龍寺に納められていましたが、戦時中の金属供出などで失われ、現在では2振りのみになってしまったとされます。
彼自身の愛刀と伝えられるものも
本阿弥光瑳から藩主就任時に購入したと伝わる「北野江」や
朝倉氏景から織田信長、佐野信吉を経て入手した「籠手切り正宗」などがあります。
流石は加賀100万石の礎を築いた男、というところでしょうか。
【日本刀匠伝】は行安。
薩摩国谷山郡波平に大和小千手院派の刀匠、橋口正国が下向したことから物語は始まります。
正国が海路で暴風雨に遭い、自ら鍛えた太刀を投じて海を鎮めたことから
姓を波平に改めたとされます。
ただこの正国が初代行安になるのか、正国の子が行安なのかは諸説あるそうです。
2代目行安の作例は愛知県豊田市の猿投神社に、
3代目行安の作例は「笹貫」と号され、京都国立博物館に所蔵されているとのこと。
56代安張は朝鮮に出兵する島津軍に従い、陣中でも刀を打ったとの伝説も残ります。
その後も連綿と流派は続き、明治時代には「波平」の字が縁起がよいとして海軍軍人に好まれたようです。
かの東郷平八郎も日露戦争に向かう際、島津家伝来の波平行正の太刀を下賜されたとの逸話も。
3、地元自慢のお殿様
いかがだったでしょうか。
今回は期せずして前田家と島津家という外様大名の両雄に因んだ話題が並びました。
特に前田利常は一般世間の知名度に比べて、面白いエピソードが多く、
もっと評価されていい人物です。
地元の「金沢100万石まつり」では児童が利常と性質珠姫に扮して大名行列に加わるとのことなので、
(今年は中止だそうですが)
地元での知名度はそれなりにあるのかも知れませんね。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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