第744回 単純化に抗ってこそ学問か
1、読書記録115
本日ご紹介するのはこちら
今村啓爾1999『縄文の実像を求めて』吉川弘文館歴史文化ライブラリー
もう20年も前の本ですが、別の本の参考文献に上がっていたので
気になって改めて読み直しました。
2、投影するイメージと実像
一昨年、東京国立博物館で「縄文―1 万年の美の鼓動」展が開かれるなど
一般にも人気の高い縄文時代。
どうしても
戦争も貧富の差も、疫病すらない、
自然と共存する自由な暮らしがある
そんなイメージを持たれがちですが、
ことはそう単純ではないんだよ、ということが本旨になります。
まずは縄文文化の異様な古さについて。
山内清男の土器編年とと放射性炭素年代測定の進展から始まる学史を丁寧に解説しつつ、
文化大革命の混乱から抜け出した中国考古学のめざましい新発見によれば
西欧が作った従来の先史時代の枠組みに再構築を促すものであることが示されています。
縄文文化の特異性をことさら強調するのではなく、
世界のどの地域で起こった文化でも独自性を有しているし、
それを生み出したものがなんなのかを明らかにすることが学問だ、
ということなのでしょう。
著者が定義する縄文文化の本質は「森林性新石器文化」という名称に現れています。
野生の植物(どんぐり)をアク抜きして食料にする技術を超えて
有用な樹木であるクリを人為的に増やす段階まで達していましたし、
打製石斧という道具のあり方からヤマイモの増殖も行われていたと考えられます。
完全な人工的食料生産とはいかないものの、弥生時代に完成されたシステムとして水稲工作技術がもたらされた時に、それを受容し、急速に普及させる基盤となったことは間違いないだろうと、
その文脈において著者は縄文文化を最も評価しています。
明治維新の際に欧米文化を急速に受け入れることができた下地に
江戸時代の高い教育水準と技術力があったことになぞらえながら。
一方で、縄文時代も長きに渡って安定的な社会を実現していたように
語られがちですが、自然環境の変化で集落数の激減を広い地域で認められるなど衰退期を何度も経験していることに目を向けます。
さらにいうと1万年かかっても歴史の次の段階である文明に進むために不可欠な「都市性」や「階級的関係」の発生がみられなかったことも重要視すべきだ、
と述べています。
縄文時代の光の部分だけではなく、影の部分も含めてバランスをとることが必要だということに尽きるのでしょう。
3、バランス感覚と先見性
いかがだったでしょうか。
私も小学生向けの出前講座などでは、印象づけを意識しすぎて
つい縄文時代のよさを強調しがちですが
いつの時代もいいところも悪いところもあったんだ、と正しく認識させる気づきを与えられることこそが大事だと思い直しました。
著者はあとがきの中で、
3年前に英文で書いたPrehistoric Japann という著書では山内丸山遺跡も東京の中里貝塚の成果も出る前に書いたことに触れ
今では欠かすことのできない大事な情報も数年前には未発見だったということ、
逆に本書が刊行された後に書き換えられる歴史的発見のあることを補足しています。
確かにこの20年で日本の考古学はまた調査成果を積み上げました。
さらにここで付記しておきたいのは、日本は発掘調査件数でいうと世界トップクラスで
考古学情報の蓄積も膨大だということ、
つまり例えて言えば縄文文化がどれだけ栄華を誇ったように見えても
同じ密度で別の地域を調査することができたら
大差なくなるような情報量がまだ埋蔵されているかもしれない、ということ。
考古学の尽くせぬ裾野に、知的好奇心を膨らませ続けられることは幸いです。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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