第217回 地域の考古学研究最前線
1、専門家の組織はどうなっているか
考古学は地域や専門とする時代で細かく別れて研究会が組織されることが多いのですが、
鎌倉時代から戦国時代を専門とする私もその例にもれず
宮城県考古学会の中にある中近世部会に所属しています。
会員の多くは大学の教員と大学院生や、行政の文化財担当者です。
会を引っ張ってきた先輩方が本業を退職して現役を退きつつあり、世代交代したいということで事務局として運営をやることになりました。
新体制1回目は今後の方向性について議論し、5年後くらいに資料集のような冊子を作ることを目指すことになりそうです。
というのも去年同じ宮城県考古学会の旧石器部会で冊子を刊行したことに触発されたことが発端でした。
実は縄文部会も次を狙っているらしいとのことで、競争ではないですが、負けじと頑張っていくことになりました。
2、瓦からわかる近世の高揚感
方向性が決まった後に、お城を研究している若手の研究発表があり、江戸時代初めの瓦の資料検討会も実施しました。
考古学の研究で一番大事なのは
実物をじっくり観察すること。
今回はミヤギと山形の遺跡で出てきた資料を持ち寄ると、当たり前ですが似ているところもあり、異なっているところもあります。
それをケンケンガクガクするのがこのような会の醍醐味です。
結論だけ言うと、その時代は瓦を使ったお城の建築ラッシュで人手が足りず、職人がかき集められたようで、同じ時期に屋根にのっていたはずの瓦でも作り方がバラバラだったのだろう、ということでした。
中世では瓦を葺く建物はほぼお寺に限られますが、作り方を詳細に検討すると、
これは播磨系(兵庫県)だとか、四天王寺系(大阪府)だとかがわかってくるんです。
これが信長の時代以降、急に瓦葺きのお城が増えて派閥争いしている場合ではなくなったのでしょうか。
東北のような遠隔地の瓦作りは伏見城や大坂城に関わった職人集団がそのまま混成部隊で各地に出職しているイメージでしょうか。
3、業界ならではの時間感覚
このような専門家の集まりで得られた新たな知見を分かりやすく翻訳して伝えるのが学芸員の仕事。
インプットとアウトプットを両立させてこそですね。
ところでミヤギの考古学界隈でも時代ごとに細分化してグループを作っていると書きましたが、
どの時代を主に見ているかで時間の感覚がそれぞれ違うのだと言うこと、よく言われます。
例えば私は1000年前から400年前くらいがツボなので、奈良時代だと古いと感じますが、明治時代はけっこう最近のイメージがあります。
これが旧石器時代の研究をしている人でしたら6000年前の縄文時代ですら新しいと言いますからね。
これってやっぱり一般的感覚からはずれてますよね。
もちろん仕事ですから他の時代のことも知らなくてはいけませんし、学ぶと面白いことは間違いないですが。
皆さんの業界でも独特の感覚とかありますか?ぜひコメントで教えてください!
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