第1075回 短期間でも町の歴史に色濃く残る
1、読書記録201
今回ご紹介するのはこちら。
北海道白老町教委2021『史跡白老仙台藩陣屋跡保存活用計画』
仙台藩繋がりということで我が職場にもご恵送いただいたのでしょうか。
幕末の激動期の短い間の歴史が現代まで交流の礎になっている、というのも素敵ですね。
2、激動の歴史
白老仙台陣屋は安政三年、
ちょうど今放映しているNHK大河ドラマ「青天を衝け」の時間軸に近いころですね。
迫り来る欧米列強、具体的にはロシアに対する防衛のため、北海道各地を東北諸藩に割り振って治めさせたのが始まりです。
仙台藩の割り当てはなんと北方四島まで、という広大さ。
にも関わらず拠点を築いたのは西端に近い白老の地でした。
仙台藩主伊達慶邦は三好監物らを派遣し場所を選定させますが、交易拠点との距離や防御性などを考慮してこの地になったようです。
余談ですが、この三好が白老陣屋周辺の景勝地を「旭岡十景」と定めたことを
幕末の探検家、松浦武四郎がその著書『東蝦夷日誌』に記しているとのこと。
三好さんは厳しい状況下でも風流心を忘れない御仁だったようですね。
陣屋には今も残る地表顕在遺構として土塁があり、土塁に囲まれた範囲は直径150mの円形を呈した内曲輪と南北400mに及ぶ細長い外曲輪に分かれていたそうです。
上記絵図は宮城県丸森町で平成20年に発見された『仙台藩白老陣屋之図』(安政4年9月)では函館奉行による施設見分に対応して作成されたもので、完成状況をもっともよく表していると評価されています。
曲輪内部を見ても、稽古場や馬場、的場など実戦訓練の場所が設けられていることから仙台藩士たちが夷狄に備えて教練を怠らなかったことがよくわかります。
丘陵上には塩釜神社を勧進してきて、国元と同じ年中行事を行うなど精神的な配慮もなされている様が伺えます。
しかし、わずか十二年で戊辰戦争が勃発したため、陣屋は放棄され、一時期一関藩が管理していましたが、程なく忘れされてしまったようです。
明治39年に藩士の墓石を見つけた地元住民が中心となって保存団体を結成し、
自ら維持管理を行なってきたとのこと。
昭和4一年になってようやく国指定史跡となり、
曲輪内で昭和46年からの試掘調査と昭和55年から60年に行われた発掘調査で建物跡が複数確認されました。
昭和59年にはガイダンス施設である資料館が建設され、
昭和61年に保存管理計画が策定されます。
そして平成26年に族共生象徴空間ウポポイの開業が決定し、関連施設として多様な来訪者を想定した整備が計画されることになりました。
3、策定の効果は
今回策定された保存活用計画には上記のような歴史的経緯が説明されるとともに
史跡内の本質的な価値と関わりない工作物や記念植樹の取り扱いや
整備方法が現在の基準とあっていない点などの課題が抽出されます。
一方で
令和元年度に多言語ガイダンスシステムを導入
公立高校と連携した「地域学講座」を平成30年度から継続しているなど
すでに積極的な活用策が取り入れられていることも紹介されています。
このように現時点での状況整理をすることは、史跡を保存し活用を図っていくことに大いに資するものになるだろうな、と感じました。
担当者個人は全体像は掴めていても、町役場全体に可視化されていないことは往々にしてあります。
一つの冊子としてまとめられることで情報共有が格段にしやすくなるでしょうね。
やはり我が町の史跡も「保存活用計画」を早急に作りたいところです。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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