第619回 私も明智光秀派です

1、読書記録 93

ようやく2020年初めての読書記録を更新することができました。

新年一発目はこちら。

雑誌『現代思想』2019Vol.47-16 総特集 明智光秀

大御所から気鋭の歴史学者、社会学や考古学から、多くの視点から明智光秀が語られています。

2、過去とどう対話するか

どの論考も新たな学びがあり、紹介していくとキリがないので

順不同で思いついたことをつらつらと書いていきますね。

まずは、昨年末レビューした新書『信長家臣明智光秀』の金子氏の論考。

題をひっくり返して「光秀君主織田信長」というネーミングにセンスを感じます。

使用されている史料はほぼ同じですが、

光秀がいかに信長に信頼されているか、を挙げ、だからこそ

一時的な怒りで光秀のプライドを傷つけても、そんなことは次の瞬間には忘れて

次々と重要な任務を与えているのだろう、

という指摘は秀逸。

有能な人物なら信頼しすぎて、何度も裏切られる、というのは荒木村重や松永久秀、さらには浅井長政もそうですよね。

大きな欠点を抱えていながら、それでも大仕事を成し遂げる、

そんな人間味があるからこそ信長は人気があるのかもしれませんね。

光秀の話に戻りますが、彼を語る際に欠かせないのが教養の高さ。

綿貫豊昭「明智光秀の教養」

によると立身出世のために「茶の湯」と「連歌」という教養をいかに見つけていったかが語られています。

特に「連歌」は記録が残る最初の永禄11年(1568)には100句を12人で詠んでおり、最小の6句でありましたが、

天正10年(1582)1月には15句と同席した細川藤孝と同数の作品を生み出しています。

このあたりを鑑みると、人脈を作り、重要な情報を入手できる「連歌」という

趣味的な場に入っていくために腕を磨く、努力家の側面が印象に残ってしまいます。

しかし、恐ろしいのは文学はその人となりを映してしまうこと。

綿貫氏は度々連歌で同席していた細川藤孝が、本能寺の変後に味方しなかったのは

光秀の人格を見透かしていたからではないかというニュアンスで語っています。

いかに優秀でも、努力家でも、最後は人柄が命運を分ける、ということは

現代にも通じる真実かもしれません。

みんなが気になる、本能寺の変の黒幕説については

堀新「青木町天皇と信長・光秀」が踏み込んでいて興味深いものでした、

まずは天皇と信長が対立関係にあったというのは、根拠がないとバッサリ。

信長が望んでいたのは「公武結合」という武家と公家が相互補完的に存在する世界。

一方で保守的で、天皇の権威を頼みにしていたとされる光秀は

本能寺の変後の誠仁親王に対する扱いが粗雑で、怪しくなってきました。

近年「石谷文書」が発見され、注目されている四国問題説も

丁寧に読み解けば、長宗我部氏は信長の命令を受け入れ始めていた段階であったことを指摘。

結論としては野望説を採用しているようです。

細川藤孝に宛てた書状の中で

野望を持っていない

と繰り返すところが逆に本心が透けて見えるようだ、ということのようです。

そして、いろんな意味で話題を振りまく

本郷和人氏は「歴史を学ぶとはどういうことか」

という大上段の構え。

光秀を考える上で、まず信長を語ろうということで

信長の先進性は「一職支配」であり、部下に裏切られるのは何にも縛られず人材を登用したからだと喝破します。

まあこれは分かりやすくしすぎの感はありますが、あまり異論はないのではないか、というところ。

その上で本能寺の変がなぜ起こったか、に踏み込むわけですが、

良心的な歴史学者であれば

わからない

というのも頷ける答えです。

人の心、ここでいう光秀の内面にまで踏み込むのは歴史学を逸脱すること。

といいつつ、考えるのは信長と光秀の国家観が違うのではないか、

と本郷氏は投げかけます。

日本は統一されるべき、と考えるのが信長で

統一されなくてもいいのではないか、と考えるのが光秀だ

ということ。これは議論を呼びそうな説です。

確かに、現代の日本社会のあり方が根底にあると

国家は統一されるべき、という常識に囚われがちですが

戦国時代の人々がどう考えていたかはまた違う話。

中世まっただなかの人々は確実に列島が一つの国だ、なんて考えていなかったでしょうしね。

3、過去への投影

いかがだったでしょうか。

もうすぐはじまるNHK大河ドラマ「麒麟がくる」を視聴するにあたっても

どんな光秀像が描かれるのかワクワクするためにも

第一線の識者たちの光秀像を知るのは刺激的な時間でした。

最後に紹介したいのが

「光秀の城」と題して千田嘉博氏が光秀の築いた京都府周山城を評して

ほどよい大名と家臣との関係を模索した城

と言っているのが印象に残ります。

さらには

光秀が天下人として新たな時代をつくったら、私たちの時代も、もう少し生きやすかったのではないか

とまで言います。

歴史をどう見るか、によってその人の理想とする社会が見えてくるようで面白いですね。

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。


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