第1433回 仙台藩の女性の地位

1、読書記録334

本日ご紹介するのはこちら。

著者の柳谷慶子氏は戸籍名は菊池であるが、本書は先祖の苗字でもある柳谷を筆名とした、と記しています。

東北学院大学で近世の女性史を中心に研究され、本書でも伊達家や南部家、佐竹家など東北各藩の事例が豊富に用いられます。

2、政宗は流石のセンス

まず面白かったのは年末の煤払い。

奥方が住むエリアの大掃除を担当したのは、男たち。

その間女性たちは、別のエリアで宴会をして骨休めしているという伝統があったようです。

伊達政宗のセンスを感じますね。

そして本書に通底しているのは女性の地位の高さ。

中世は女地頭がいたり、所領を娘に譲渡するような事例も多い印象で

近世には女性の地位が低くなった、と勝手にイメージしていました。

本書によると伊達家では女中の格式と対応する男性の役職が対応するよう明記され、

例えば最上位の大上﨟は御一門衆格、老女は奉行に相当、若年寄りは御召出格以上、といったようにランクづけされていたのです。

江戸時代は身分制度が明確で、儀礼において藩主や正室に向かって、何枚目の畳まで近づいて挨拶できるか、という細かいところまで規定されていたので、このあたりを明確にする必要があったのでしょう。

さらには正月三ヶ日は全ての階層の人たちが一堂に会する儀礼があり、一目で階級がわかるように、衣装・髪型・眉化粧に至るまで細かく決まっていたとのことでした。

話は全くそれますが、最近流行りの漫画『葬送のフリーレン』で、人は見た目で身分の上下を視覚化し、魔族は魔力の多寡で上下が決まる、というフレーズが物語の重要な設定として描写されていたのを思い出します。

人間の本質が創作によって描き出された好例ですね。

話を戻して奥女中の役割、といったところでは将軍の娘を伊達家や島津家に嫁がせる、という重大事において水面化での交渉に奥方を通じた交渉が進められていた事例が挙げられ

非公表の段階での調整、という役割を果たしていた、という整理がなされています。

この辺りも現代にも通じる世界ですね。

事前の根回し段階のチャンネルと、公式ルートの二本立て。

奥女中として生涯を捧げた長享院(岸盛子)が経ヶ峯の伊達家墓所の一画に葬られていることも驚きでした。

彦根藩主井伊家に嫁ぐ7代伊達重村の娘に仕え、その後11代斉義の正妻付きの老女として再抜擢。長年の功績に報いて死後藩主の家族に準じる扱いを受けた、ということはすごいことですね。

そして、功労者である老女たちには、俸禄を元に新たに家を起こすことが認められ、「先祖」や「初代」として系譜に位置付けられることもあったようです。

3、50歳で老年

本題とはずれますが、小ネタとして気になったものを備忘録として載せておくと

伊達慶邦が奥女中を通じて将軍家に献上したもののリストが掲載されておりました。

土用前に天花粉一箱・干金海鼠一箱、七月頃に鈴虫一箱、十月頃に当座子籠鮭、寒前に貫之紙・雪輪紋杉原紙一箱・鮭鮎一桶、十二月に塩瀬饅頭一組・毫一箱で、いずれも藩領で生産される名品である。

貫之紙は著者によって「雲母を入れて地にした紙」と注釈され、子籠鮭や鮎は今でも宮城の名産なのでわかりますが、

他の品々はぱっとイメージできませんね。

別な箇所では地元の鹽竈神社の守札も献上していることが記されています。

以前「ほしいい」という保存食が京都の公家にまで献上されている名産品だったことに衝撃を受けましたが、まだまだ知らない江戸時代の産物がありますね。

また、当時の年齢感覚として「老年」や「老体」は50から60歳代、「老衰」は70代、「極老」は80代と表現されていることが多いようです。

私も「老年」が近づいてきたなぁ。

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。




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