第659回 垂直方向の信仰
1、読書記録99
昨日のnoteで100冊目を先取りしてしまったので
一回戻って99冊目はこちら
岩鼻通明2017『出羽三山』岩波新書
をご紹介します。
2、山岳信仰は意外と身近
冒頭から面食らったのは
2016年にヒットした映画『君の名は。』に山岳信仰の要素が見られるという紹介。
ごめんなさい、この映画まだ見てないんです。
そうでなくても日本人の心性には山を聖なるものとして崇めることを
違和感なく受け入れられるのは山岳信仰の伝統が根付いているからに他ならないと思います。
祖先の霊が山から麓の祖先たちを見守っている、という考え方(民俗学者柳田國男)や
宗教学者エリアーデが唱える塔や木、滝などの垂直にそびえるものを「宇宙樹」として天と地と地下を繋ぐシンボルであるという考え方。
ただ雄大な自然景観というだけで人々は畏怖し、崇敬の念を抱きたくなりますよね。
そして出羽三山の位置づけを考えると
日本の中央部で山岳信仰といえば熊野。
永治元年(1141)成立の原本を寛永二十一年(1644)に筆写したと伝えられる『羽黒山縁起』には
熊野山権現に敷地なきことは叶わないとして、全国66州のうち、21州を羽黒山に、12州を彦山に参らせることにした。
とあります。
彦山(英彦山)は福岡県と大分県の県境に位置する山岳修験の盛んな場所です。
要は関東・東北ブロックは羽黒山に、九州・四国ブロックは英彦山に参詣すること、と棲み分けをした、ということなのでしょう。
出羽三山は東国に置いては山岳修験にとっての第一の聖地だったということ。
3、遠く離れた地にある石碑
本書には
参詣者の道中日記を丹念に読み込むことで復元できる景観についてや
現代に残る即身仏や食文化について紹介する章もありますが
私があえて掘り下げるとしたら
各地に残る石碑から信仰の広がりを探った部分。
出羽三山にちなんだ石碑は広く北海道から愛知県まで所在が確認されていますが主な分布は東北と関東。
三山が所在する山形県の445は別格としても次いで多いのが千葉県の128、岩手の106、ミヤギの71と続きます。
「湯殿山」
と大きく彫られた石碑をご覧になったことありませんか。
江戸時代も後半になると庶民でも参詣の名目で一生に一度は旅をすることが許されるようになります。
通行手形を入手するためには、大義名分が必要。
遠方の霊験あらたかな寺社に参ることがそれにあたります。
といっても費用も膨大ですから、各地では代参講という互助組織を作ります。
数十軒単位で構成され、旅の費用を積立て、代表の者が参詣をする、という仕組みです。
各家の代表者が一巡する20年単位くらいで記念碑を建てたのが湯殿山とかからた石碑でありました。
こうみると、先ほどの石碑の数が多い千葉県からはそんなにも参詣者が多かったということになりますね。
実は千葉県においては出羽三山参りを果たした者は「行人」として一目置かれる存在になり、行人だけが埋葬される行人墓というものもあるとのこと。
なんと平成になっても参詣記念の石碑が造立されているとのこと。
筆者の見立てでは明治以降の布教の成果ではないかということでした。
それも今後江戸時代の参詣記録の調査が進めばまた変わってきそうな予感もします。
単に江戸時代後期の千葉あたりの商人が裕福であったことに由来するかもしれません。
伊勢や本場熊野への参詣の様子と比較してみる必要もありそうです。
一つ学ぶと、次々に新たな疑問が湧いてくる。
それも学問の楽しみですよね。
ちなみに!
今回もPRタイムとして宣伝させていただきます。
来る3月1日にイベントをやります。
宮城県松島町で歴史講演会。
テーマは近代。
すでに50名を超える申し込みをいただいておりますが、
マックスで100名程度は入るハコなので
ご興味のある方はぜひご連絡ください。
このnoteにコメントでもいいですし、
TwitterでもFacebookでもなんでも連絡いただけると嬉しいです。
さらにお時間ある方は講演会終了後オフ会に参加しませんか?
まったりご飯かお酒を味わいながら歴史の話ができればと思います。
連絡お待ちしております。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?