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第633回 不死鳥の赤い色

1、刀かと思いきや城

昨日の日本刀に続き、

デアゴスティーニの人気シリーズ『日本の城』をご紹介します。

というのも写真提供に協力したかどで一冊寄贈を受けたのです。

2、構成

【特別企画】
永遠の御城 首里城復元の物語、その再生の道程

【城の縄張り】佐賀城

【城の歴史】
鞠智城
大河内城
西高木家陣屋
千本城
払田柵

【城と合戦】
久留里城

【名城探訪】
岸岳城

【名城人物伝】
坂上田村麻呂

3、柳宗悦が絶賛した美しき城

今回すこし掘り下げて紹介したいのはやはり首里城の話題。

これまで何度失われても復興されてきた歴史がビジュアルたっぷりでわかりやすくまとめられていました。

①1453年の焼失

沖縄県は14世紀ごろから各地の城(グスク)を拠点にする按司たちが

北山、中山、南山に糾合されて三国時代と呼ばれました。

さらに1429年に尚巴志が三国を統一し首里城が王の居城となりました。

ですが、4代国王の尚金福が亡くなると、息子と弟が王位を巡って争い、

その戦火で焼失してしまうのです。

しかし1456年に琉球を訪れた朝鮮の使節が首里城のことを書き残しているので(『李朝実録』)まもなく再建されたことがわかります。

②1660年に失火で焼失

1609年には薩摩藩の侵攻を受けて、従属下に置かれてしまいます。

しかしこの時は戦火で焼かれなかったにもかかわらず、50年後に失火で焼失。

この時は再建まで11年かかっているようです。

③1709年に再び失火

さらに100年後に再び焼失しますが、

この時は財政的に苦しく、薩摩藩から材木の提供を受けて再建できたと言われています。

その次の危機は明治になって訪れます。

琉球処分と俗に言われるように、琉球王国も独立性を完全に奪われ、国王が退去して主人がいなくなった首里城は荒廃していきます。

危うく解体されそうになったところを東京帝国大学教授の伊東忠太、沖縄文化の研究者である鎌倉芳太郎らの尽力で、沖縄神社本殿として保存することができたそうです。

鎌倉が残した『沖縄文化の通宝』のなかにある絵図が戦後の復元事業に大いに寄与することとなります。

1927〜34年には解体修理が行われますが、

わずか10年で4度目の焼失を迎えます。

④太平洋戦争での焼失

日本軍が首里城の下に地下壕を掘り陸軍第32軍総司令部を置いたため、米軍の標的となってしまい、激しい戦闘の中で多くの文化財が失われました。

戦後は1958年の守礼門を皮切りに、整備が行われ

ようやく1992年に正殿が完成します。

そして今回の火災を迎えます。

⑤令和の焼失

原因は特定されていませんが、失火により再度焼失してしまった首里城。

計6棟が全焼、焼失面積は4000㎡にものぼります。

復興に向けたクラウドファンディングは20日あまりで10億円以上集まったといいます。

沖縄県では2022年までに再建計画をまとめると発表されました。

これまでも苦境を乗り越えてきた首里城。

今回もきっと見事に復興を遂げてくれることでしょう。

自分にできること、で協力・応援しながら、その日を楽しみにしていきましょう。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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