第1331回 真贋よりも求められること

1、読書記録315

本日ご紹介するのはこちら。

佐藤寒山2021『刀剣のすべて』河出書房

1961年の『日本歴史新書増補版・日本の刀剣』至文堂を再刊したもの、ということで、60年も前の復刻ですが、刀剣の第一人者が初学者向けにまとめたエッセンスは色褪せないものでした。

2、もっと知りたい「すべて」

まずは、日本刀以前の上古の刀剣類から説き起こして、時代順にその歴史が解説されます。

続いて「彫物」「研ぎ」「ハバキと白鞘」と特論が並び、

各流派の特徴を解説しながら「名刀の鑑賞」方法が語られます。

「贋物譚」というコラム的な章を挟んで

外装や小道具、用語解説が付く、という構成になっています。

個人的に掘り下げて紹介したいのは2点。

まずは「研ぎ」について。

著者は東京国立博物館の学芸部刀剣室に所属していた経歴もあり、技術的な知見も幅広いものがあるようです。

研ぎの作業に必要な環境、具体的には広さや採光、流し台の勾配など説明は微細に及んでいるのです。

その際に東京国立博物館の研ぎ場が非常に湿気って困っている、研ぎ師が病気になる程だ、というところから床をはいで見たら

コンクリートで固めた床下いっぱいに水が溜まっていた、

という恐ろしいエピソードも語られています。

天下の国立博物館でもそんなことがあるのか、と驚かされます。

研究者、専門職員と設計者が連携とれていないと起こりがちなことですね。

そして2点目が、贋作が生まれた一つの要因について。

単純に悪意あるものが金儲けする、というだけではなく、社会的な要因もあった、ということが明快に語られます。

曰く、必要とされる数が実際の真作を上回っていた、ということ。

具体例を挙げると、徳川家康が三方ケ原の合戦で死を覚悟し、切腹しようとした時、どうしても手に力が入らず、「吉光」の短刀が主人の死を惜しんで留めているのだ、というエピソードがありますと。

それを吉例として全国の大名が「一家に一振り」は持っておきたい、みたいな風潮がありましたが、もちろん全てに行き渡るほど真作の「吉光」は現存していないのです。

それではどうしたか、というと刀剣鑑定を生業にしていた本阿弥家が、依頼を受けて無銘の刀に「吉光」だという「折紙」をもらったり、ひどい時は偽銘を彫ったりしていたと。

これは一例で、将軍の代替わりのお祝いとして献上するのは「国光」でなければならない、とか還暦や古希のお祝いには「延寿」でないと、とか、「清華家」という格式の公家は「三条宗近」の刀を佩用するべきだ、とか様々な「お決まり」があったんですね。

もちろん本阿弥家はちゃんと真贋がわかっており、真作には金何枚、それ以外には銀何百貫、と金額の単位を変えていた、という話も記載されています。

銀単位にした方が数字が増えるのもなかなか巧妙ですね。

社会的には実際真贋がさほど重要ではなく、「あるべき形」が取られていることが重要だ、というのはまさに日本的、という印象です。

著者の見立てではかの有名な伊達政宗の「振分髪正宗」も

西郷隆盛の奔走に感謝して庄内藩主酒井家から薩摩藩に送られた「貞宗」も

明らかな贋物だ、というから出どころがしっかりしていても真作とは限らない、という実例が挙げられています。

3、刀剣から見える社会

いかがだったでしょうか。

日本刀にまつわる、エピソードだけではなく技術的な物語や

社会的な位置付けまで見えてくる専門家の解説は非常に興味深いですね。

本物か贋物か、よりもどう扱われているか、価値のあるものだ、と信じられているかの方が大事という風潮は、現代日本でもまま見られる光景です。

日本刀からの学びはまだまだ深入りしていきたいところですね。

本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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