第768回 歌枕としての松島②

1、第八段から第十四段まで

先週に引き続き、

Twitterで毎日呟いている #松島百人一首  を一週間分ご紹介します。

Wikiレベルですが作者の経歴の紹介と

個人的な感想を付け足しています。


2、花の松島

第八段 松島の風にしたがう波なれば寄るかたにこそたちまさりけれ

藤原道綱母

言わずと知れた、蜻蛉日記の著者で、夫は藤原兼家。

政争に明け暮れる夫とは距離を置き、和歌の道に没頭したのでしょうか

勅撰集には合計36首がとられ、中古三十六仙や女房三十六歌仙の1人に数えられています。


第九段 汐風に雄島のさくら花かけて浪のみたてもなくて散りぬる

源仲正

摂津源氏で源頼政の父にあたります。ライバルの河内源氏である源義親の反乱を鎮めるのに武功を立てるとともに、勅撰和歌集に合計15首が採録されるなど文武両道の人であったようです。

雄島に桜!があったかどうかはわかりませんが、少なくとも今はありません。

紅葉は美しいですが、春の華やかさとはちょっと縁遠いのが実情。


第十段 ふみわけて渡りもやらず紫の藤咲かかる松島の橋

藤原忠教

藤原師実の五男で、正二位大納言まで昇進する上級貴族。

和歌にも優れ、勅撰和歌集には合計8首が採録されているようです。

松島を詠んだ歌の中では珍しく、「藤の花」が読まれています。

忠教はもちろん松島の現地を訪れたことはないでしょうが、

今の五大堂が立つ島まで渡る橋には藤の花が差し掛かり、

まさにこの歌の光景があったようですが、今はもう失われてしまいました。


第十一段 海士の袖いかにほしあで松島や雄島が磯に衣打つらん

藤原家長

いわゆる受領階級として各地の国司を務める傍ら、庖丁道の家柄ということで

鳥羽院の御前で魚をさばいたという逸話が残る異色の歌人です。

和歌は「あまの袖」「雄島が磯」「衣」と定番のネタ。


第十二段 暁やをじまが磯の松風にころもかさねよゆらのうら人

藤原顕仲

勅撰集に合計43首採録される根っからの歌人。

明け方の雄島を詠む歌は多くないですが、

実際には東の海に突き出した島なので、とてもいい光景で

地元民としては月よりも好きだったりします。


第十三段 あらしふく雄島か磯の浜千鳥岩うつ波にたちさわぐなり

源俊頼

宇多源氏の出で、篳篥の名手。

『金葉和歌集』には35首、『千載和歌集』には52首も採録され、

それぞれ最多入集歌人となっているほどです。

松島湾の奥まった位置にある雄島ですので、普段は非常に穏やかな海に面しています。

あえて嵐の波が打ち付ける光景を描くのがひねりが効いていますね。


第十四段 松島やをじまの波にこととはんたちかへるべき時も有りやと

源師房

村上天皇の孫にあたりますが、早くに父を亡くし、姉の夫である藤原頼通の猶子となって一門同然に優遇されます。

頼通の父である道長からはその才能を愛され、

師房に摂関家を譲ってもいい、とまで言われたとか。

彼の残した有職故実は「土御門流」として後世にも大きな影響を与えていきました。


3、新要素登場

いかがだったでしょうか。

今回は道綱母が選ばれている中古三十六歌仙と

これから紹介していく新三十六歌仙の間の時期にあたる歌人をご紹介しました。

前回のような「あまのそで」のような定番フレーズだけではなく

桜や藤の花、暁、あらしなど新たな表現が散見されましたね。

古典を踏まえつつ、オリジナリティを込めた作品を世に出すのは

やはり大変なことです。

来週はどんな和歌が登場するのか、乞うご期待。


本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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