第1159回 名刀には個性の強い人物の伝説がつきもの
1、日本刀レビュー110
今回はディアゴスティーニの『週刊日本刀』110号をご紹介します。
ちなみに前回はこちら。
2、名刀には個性の強い人物の伝説がつきもの
巻頭の【日本刀ファイル】は國廣。
日向国(現在の宮崎県)出身の刀匠で、地元の戦国大名伊東氏に仕えていました。
伊東氏が島津氏との戦いに敗れると山伏鍛冶になった、と記されています。
山伏鍛冶とはあまり聞き慣れない言葉ですが、全国を放浪しながら求めに応じて刀を打つ暮らしをしていたようで、
京都、美濃、足利と各地に足跡が残っています。
相州正宗、水心子正秀とともに「中興の三傑」と称されることもあり、
虚実入り混じる伝説を数多く残っています。
足利城主長尾顕長に従って小田原籠城に加わったとか、
石田三成に仕えて文禄慶長の役で朝鮮に渡り、現地の刀工と交流したとか。
掲載作は慶長八年の銘があるので、國廣の晩年、京都堀川に鍛冶場を構えていた頃の作です。
銘には林伝右衛門時行の所持者名が刻まれています。本誌には武蔵国の豪族、とありますが、
検索してみると土佐山内家臣、織田秀雄家臣、大久保長安家臣などさまざまな経歴でヒットするので該当者は一人ではないのかもしれません。
現在では個人所有の重要美術品として、2019年に足利市の展示会で話題になって知られることになりました。
続く【刀剣人物伝】は徳川慶勝。
尾張家十四代当主として幕末の激動期を生きた人物です。
刀に関するエピソードの初めは十二代将軍徳川家慶に拝領した直綱の太刀。
その後も家慶から長船宗光の刀や来国俊の短刀も拝領しています。
また慶勝は刀の拵に関心が高く、鯰尾藤四郎や上野貞宗など尾張家伝来の名刀に拵を作らせたとのこと。
佩刀としても福岡一文字派助真の刀や美濃の志津三郎兼氏の刀などが知られています。
【日本刀匠伝】は国次。
山城国来派の出でありながら相州の正宗に弟子入りし「鎌倉来」と称された刀匠です。
井伊家に伝来し彦根城博物館に所蔵されている源来国次の短刀や
徳川将軍家から前田家、稲葉家、細川家などを渡り歩いた鳥飼来国次の短刀、
徳川家光が家綱に贈ったとされる太刀などが作例として知られています。
実は来派は各地に点在して鍛造を行なっており、
光包は比叡山延暦寺の根本中堂で鍛造したため「中堂来派」と呼ばれますし
豊後国の了戒、肥後国の延寿、摂津国の長国などが知られています。
最後に【現代の日本刀カルチャー】として登場するのは何と野球選手の王貞治。
若い頃から真剣で素振りをする、というトレーングを行なっていたとのことから取り上げられているようです。
実際にこの刀は野球殿堂博物館で展示されているそうですが
別に所有していた肥後国の同田貫の刀は九州国立博物館に所蔵されているとのこと。
3、殿様も刀鍛冶も
いかがだったでしょうか。
今回の記事で個人的に印象深かったのは徳川慶勝ですね。
刀との繋がりもさることながら、その生い立ちから晩年の趣味までエピソードに溢れているな、と感じます。
本家である将軍家からの押し付け養子が続いた尾張藩に期待を持って迎えられた支藩出身の英才。
藩祖義直の勤皇の教えに従い、本家はもとより、実弟である会津藩主松平容保や桑名藩主松平定敬と袂を分かつ決断をする。
写真撮影を趣味として1000枚ものガラス乾板を残し、貴重な資料を提供していること、
どれをとってもドラマになりますね。
それを思えば国広も同様。小説の主人公になりうる個性が光ります。
まだまだ刀を通じた人物伝は続きます。
本日も最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。
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