第1191回 現役の職人をランク付するという時代

1、日本刀レビュー116

今回はディアゴスティーニの『週刊日本刀』116号をご紹介します。

ちなみに前回はこちら。

2、概要まとめ

巻頭の【日本刀ファイル】は謙信景光。

その名の通り上杉謙信が愛用した短刀です。

景光は備前長船派の三代目。

掲載作は刀身彫の名手と呼ばれる景光らしく、

「秩父大菩薩」の文字と「大威徳明王」を表す梵字が彫られています。

武蔵国出身の大河原時基が播磨国に任官した際に故国の秩父神社に奉納するために注文したもの、とされています。

その後、上杉家に相伝し、昭和31年に国宝に指定されています。

現在は埼玉県立歴史と民俗の博物館に収蔵されているとのこと。

本誌には等身大ではないのですが、楠木正成が佩用したとされる小龍景光の太刀や延慶二年銘の太刀、元徳三年銘の短刀も掲載されています。

【刀剣人物伝】は谷干城。

幕末の土佐藩士で坂本龍馬が暗殺されたという知らせを受けて藩邸から駆けつけ、その後事件の解明に深く関わった人物としても知られています。

学者の家系に生まれるも学問が嫌いで、伯父に刀を取り上げられるというのが刀のエピソードの始まりでした。

明治になって西南戦争で西郷軍と対峙しますが、その際に佩用していたのが孫六兼元の刀だと言われています。

また地元土佐の刀工、上野大掾久国の刀をはじめ、和泉守国貞など多数の大坂新刀を多数所持していたことが知られています。

特に愛用してたのは津田越前守助広の刀だとのこと。

晩年には中央刀剣会の二代目会頭に就任するほど愛刀家として知られていたようです。

先に述べた龍馬暗殺の下手人を新撰組だと思い込んでおり、近藤勇が捕縛された際には厳刑を強く主張したと言われています。近藤から没収陸奥大掾三善長道の刀を土佐山内家に献上した、とのエピソードも紹介されています。

【日本刀匠伝】は直綱。

正宗十哲に数えられる石見国(現在の島根県)の刀匠です。

直綱が作刀した邑智郡邑南町は中国山地の深奥部にありながら交通の要衝でもあり、鉄の産地でもありました。

初代は南北朝時代、延文や貞治という北朝年号を刻んだ作刀が認められます。

本誌によると流派的な広がりはなかったものの4代まで連綿と作刀が続けられたということ。

在銘作は少ないとしていますが、鷹司信輔が所持していたという太刀(二代目と推定)の他に2振りが写真付きで紹介されています。

その他、津和野町の郷土館には津和野藩三代藩主亀井茲親が中御門天王から拝領したとされる太刀が収蔵されていること、

京都井伊美術館や東京富士美術館にも作刀が納められているようです。

最後の【日本刀ストーリー】は昭和の時代、現役の刀工たちをランク付した「聖代刀位列」が紹介されています。

作成したのは刀匠でありながら三期にわたって衆議院議員を務めた栗原彦三郎。

東京赤坂に日本刀鍛錬伝習所を開設して刀匠の育成にあたりました。

「聖代刀位列」を作成したのは当時の刀匠たちの作品にも歴史的な刀たちと比べても遜色ないものがたくさんある、という信念からの行動だったとのこと。「新しいから」という理由だけで価値を低く見られることに対し憤りを感じていたとのこと。

本誌には上位3位「神品の列」「貴品上位」「貴品の列」に挙げられた作刀が紹介されていますが、それぞれ「最上大業物・取締役格」「横綱格」などと別名が付されているのが興味深いですね。

3、当時なればこそ

いかがだったでしょうか。

明治維新の志士たちは日本刀に関するエピソードが多いのだと改めておもいましたね。

特に新撰組の近藤勇が池田屋事件での活躍の褒賞として会津藩主松平容保から下賜された長道の刀を

龍馬暗殺に関わったとの冤罪を受けて没収した谷干城。

さらにそれは土佐藩主の山内家に献上されているところがまた歴史の皮肉ですね。

また業界全体の向上のためとはいえ、現役の刀工をここまで細かくランク付する、というのは大きなことですね。

影響力のある方の作成した番付表ですから、刀匠たちにとってはどう評価されるかが生活に直結しますので大きな問題だったことでしょう。

現代ならとてもできないですね。


本日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。



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