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読書会メモ:ピラール・キンタナ『雌犬』

翻訳者仲間との読書会をまえに久しぶりに課題書を読んだので(おい)、とりとめなくネタバレ全開でメモしておく。

タイトルが『雌犬』、しかし犬と関係を築くのに失敗した飼い主の話ではない。じっさいに犬の飼い主である自分には断言できる。

まず、まっとうな飼い主ならこんな行動はありえないという点を指摘したい。
・性別すら確認せずに犬をひきとる
・子犬がほしくないくせに、雌をひきとる
・子犬が産まれると母犬に興味を失う(その結果、空腹か嫉妬で母犬が子犬を食べてしまう)
・子犬のひきとり手を適当に探す
・犬が何度か迷い子になるうちに探すのをやめる
・お気に入りの物をボロボロにされたくらいで犬の命を奪う

主人公ダマリスは飼い主とはとても認められない、ただの哀しい女なのだ。なぜなら
・生まれてこなかった娘の名前を犬につける
・子どもを産む存在は犬ですら憎悪の対象になる
のだから。

では、40手前の不妊の女の悲劇で片付けてよいのだろうか?
ダマリスにとって、雌犬は娘の身代わりでしかないのか?

よく言われるのが、ペットは自分自身の投影であるということ。
だから飼い主とペットはだんだん似てきたりする。
かつて自分が愛されたかったように雌犬を溺愛することで、ダマリスは小さな自分を救い、慰めていたのでは?

父は妊娠した母を捨て、母は働きに出なければならず、生まれたダマリスは崖の上に住むおじに預けられた。孤独な子ども時代。
対照的に、隣りのお屋敷で両親(母はおそらく白人)と何不自由なく暮らすニコラシートは憧れだった。
幼い彼の死後、幸せの象徴だったお屋敷は無人になり、ダマリスが33歳のとき、管理人小屋に住んでニコラシートの部屋を守る役目がまわってくる。「自分にとっての家はあそこだと、いつも思っていた。」(p.51-2)

雌犬を何不自由なく育ててやったのに、妊娠という裏切りをされた。
しかも雌犬がニコラシートの『ジャングル・ブック』の柄のカーテンを、手洗いして干したばかりのカーテンを、びりびりに引き裂いた。
ジャングルのなかで動物が助けてくれる物語など幻想だった。
守りぬいてきたものは、彼女の居場所ではなかった。

ニコラシートが目の前で消えた日は「そのうち耳に聞こえる呼吸の音が自分のものではなくジャングルが吐く息のように思え」(p.39)、
犬を探しているときは「やがて彼女自身がジャングルとなり」(p.73)、
つらいときにはジャングルとひとつになった感覚があった。
犬を手にかけたダマリスには、もはやジャングルしか残っていない。

この飾り気のない小説の魔力は、一見何かまったく別のことを物語りながら、多くの重要なことについて語ることにある。
――フアン・ガブリエル・バスケス

帯より

表向きは、ジャングルにひそむ雌犬の絵。
裏を返して、どす黒い影にはっとした。

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