ゆるいつながりを大切にしたい


学生の頃、当時ハマったアニメについて誰かと語りたくて、以前から興味のあったツイッターを始めた。
初心者でおろおろしながらも、pixivで私の作品を読んだよ、という心優しい人達とつながることができ、楽しい毎日だった。

ツイッターは面白かった。つぶやいたり、作品を投稿して宣伝したりすれば、いいねやコメントがもらえる。
それまでは、好きなものは自分ひとりで楽しむものだと思ってやってきたので、一緒に好きなものについて語ったり、共感を得たりできる相手がいることが、素直にうれしかった。


けれど、それも最初の内だけだった。現実世界と同じく交流下手だったのもあって、フォロワーさんと上手く距離感が取れないと感じることがあった。実際、距離を置かれてしまったこともある。
昔から付き合いのあるらしい、仲良く会話している人たちが羨ましくて仕方なかった。どうしたら顔を見たこともない、画面の向こうにいる人たちと仲良くなれるのか、ちっとも分からなかった。

交流下手な自分にはSNSは向いていないかもしれない、次第にそう感じるようになっていった。それでも、いいねがもらえたり、話しかけてもらえると心が満たされた。
そうやってどんどんツイッターにのめりこんでいくうちに、どこかで自分を見失ってしまったのかもしれない。


――始まりは嫉妬だった。フォロワーさんが絶賛するような小説を読んでは心が折れるようになった。自分には逆立ちしたってこんな風には書けない、悔しい、認めたくない。

書いた人は、自分と同じジャンル、同じカプが好きな仲間だと頭では分かっている。けれどそんな気持ちが邪魔をして、素直に人の書いた小説が読めなくなっていった。
今でこそそういう嫉妬は自分の成長のきっかけだと思って、腕を磨こうと努力できるけれど、その頃の自分には到底無理な話だった。

いつからか、いいね欲しさにつぶやくようになり、小説をスルーされることをひどく恐れるようになった。だから、義理のようにフォロワーさんのツイートをいいねして、小説を褒めちぎった。

相手のためではなく、自分のために。

いつの間にか、ツイートも小説も、承認欲求を満たす道具に変わっていた。あんなに好きだった小説を書くこと自体が、苦痛になっていった。

気がついた時には、一文字も書けなくなっていた。そのアニメが好きな気持ちは変わっていない。書きたい気持ちもある。でも書けない。完全なスランプ状態。そのことに耐えきれなくなったある日、誰にも言わずにそっとアカウントを消した。



あの頃に比べれば、今はSNSと上手く付き合えていると思う。
ツイッターは数年前に再開して、壁打ちのアカウントを作った。ひとりごとみたいなものだけれど、人目を気にせず好き勝手つぶやくのはとても気楽で楽しい。

好きなアニメや漫画で盛り上がっている人達を見て、羨ましくないと言えば嘘になる。つながってみたいと思う人だっている。
それでも、やっぱり今は誰かとつながるのが少し億劫に感じる。影でこっそり見ていますよ程度の距離感が、今の自分にはちょうど良い。


noteの方は、始めて一か月と少しが経つ。今のところ、まったりと自分のペースでやれている。
ツイッターと同じで、通りすがりの人が「スキ」してくれるのがとても嬉しくて、いつも画面の前でにやにやしてしまう。
逆にその人の記事を見にいくこともある。そうすると、とても好みの文章に出会えたり、その人がスキした記事やフォローしている人達との素敵な出会いがあったりする。

たくさんの人に私の書いたものを見てもらいたいとは思わない。たまたま、通りすがりの誰かの目に留まって、ちょっといいやん、ぐらいの気持ちで読んでもらえるとありがたい。
その中でさらにひとりふたり、自分の文章に共感してもらえたら、そんな幸せなことはないと思う。

色んな人とのゆるいつながりは、とても心地いい。人生は一期一会。そういうつながりを大切にしていきたいなあ、としみじみ思う今日この頃。



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