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フェミニズムをまなぶきっかけ

フェミニズムを学ぶきっかけは父の一言に疑問をいだいたことでした。

「お前女なのに、料理も掃除もできないのか、将来困るぞ」

料理上手で、綺麗好きで、パンやお菓子作りが趣味の母と、料理も掃除もあまり好きではなく、すべて自分の身の回りのことを母に任せきっていた高校生のわたしとを比べた発言でした。

わたしは時々しか母のお手伝いをしなかったから。
しかもお手伝いといっても母が作った料理を食卓に並べたり、お箸やコップを用意したり、ご飯をお茶碗によそったりすることしかしていなかった。それを父はよく思わなかったようです。

もちろん、母に全て甘えていたことは事実で、部屋の掃除、洋服の洗濯、食事など、大学進学のために一人暮らしをするまでほぼ家事とは縁がなかった私を心配した発言だということは、今となれば理解できます。

しかし、父も私と同様に、母が父の身の回りの世話をしており、むしろ私より自分のことは何もできない、母がいないと生活できない父に、女だからという理由で、家事をできないといけないと、将来困るよと言われたことに腹が立っています。

なぜ女だと家事をやる前提なのか、父はいい大人なのに母に任せっきりでそれは許されるのか、わたしも母に任せっきりなのは事実だが、それから女だからって関係ないだろうともやもやしたことを覚えています。

もちろん、父は子供を愛し、教育の機会も、勉強に打ち込めるだけの機会も、たくさん世界を知るためのチャンスも、それにかかるお金も、惜しみなく私につぎ込んでくれています。

私が女性だからと言って、教育の機会を奪ったり、勉強しなくていいとは言わないし、私の意見を尊重してくれています。

わが子が、最大限に頑張れる環境を与え、のびのび育ってほしいという父は女性蔑視を内面化してしまっているのです。幼いころから、自分の母親(私にとっては祖母)や、寮母さん、そして今は私の母が父のお世話をしてもらっています。大学では上京し、学生寮に入り、掃除、洗濯、料理など、身の回りのことは寮母さんに任せ、社会人になると同時に実家に帰り一人暮らしを経験しなかった父は、すぐに母と結婚し、私の母が父の世話をしていた。

女が家事をできないと困るだろうという父の考えは、これまで女性たちが自分の世話を焼いてくれてきたという父の経験から導き出した最適解であり、男は家事ができなくてもなんとかなると思い、女に世話をしてもらうのが当たり前だという感覚しかないことを明らかにするものです。

そのため、父は母が家事をすることに対して、表面的に感謝はするものの、母の仕事だと思っているのが私にも伝わってきます。



大学生になり、一人暮らしを始めたわたしは、必要にかられて家事をすることになります。

今までやったことがなかった家事。毎日洗濯機を回し、干し、とりこみ、たたむ。朝、昼、晩三食食事を作る。快適な暮らしをするためにたくさんの事をする。

例えば、なくなりそうなトイレットペーパーを買いに行き、補充する。食材を買う。シーツを洗う。空気を入れ替える。パジャマを洗う…など、たくさんの名前のない家事で、1日が終わってしまうことも多くありました。
食事も食費の節約や、簡単なストレス発散のために自分で作ることが多かった。コロナ自粛で三食、毎日自分のためにご飯を作る。ほぼご飯を作るだけで終わってしまう一日。

それを、専業主婦の母は、父と結婚してから20年続けてきた。わたしの世話をしながら、生活力のない父のお世話をする。

母が常に誰かのために、自分を犠牲にしていたことに気がついたのは、一人暮らしを始めてから。フェミニズムがその気づきを裏付け、父の一言の疑問に答えを与えてくれました。

それからフェミニズムの勉強を本格的に始めました。

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