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父親を変えたい。①

私の家は、父が外で働き、母が家のことをやるという家だった。

父が外で稼ぎ、母が、家事、育児、その他のことをする。

そして、子供が大きくなれば、母は家のことの傍ら、パートに出かける。

父は、「誰に食わせてもらってるのか」と、母と喧嘩した時に言う。

幼いながらに私はそれがずっと気に入らなかった。

母が、用意した朝食を食べ、母が洗濯し、アイロンしたワイシャツを身に着け、母が靴磨きした革靴に足を通し、母がアイロンした、ハンカチを持って毎日家を出ていく。

お父さん、あなたのその会社での働きって、全部お母さんのサポートなしにはなしえないんだと。

男らしさの、呪縛にとらわれている人なのだと思う。

高校からラグビーを始め、大学も寮でラグビー漬けの毎日を送る日々。

もちろん、進学で家を出る前は母親や祖母による、家事は何にもしなくていいと言われ、ぞんぶんに甘やかされ、そして、私の祖父の厳格な家父長制&わがままを見て育った。

祖父は、何でも自分のご飯を一番最初にもっていかないと機嫌が悪くなる人だった。みんなが食事の席についておらず、祖母や母がまだキッチンで料理を作っているのに先に食べ始める。

私は、そういう祖父が大嫌いだった。

そんな祖父を見て育ったにしては私の父は、まだマイルドである。

家族での団欒と言って一緒にご飯を食べたいというし、よそったご飯を運んだりもする。洗濯物取り込んでといえば、取り込んでたたむし、娘から愛されたい、いいパパでありたいという感じはひしひしと伝わってくるのだ。

料理を頑張ろうとしたこともある。彼の得意料理はスクランブルエッグ。

マヨネーズを入れるのが隠し味なのだそうだ。

でも、料理をしても、キッチンは汚すし、やりっぱなし、お皿も洗うけれど、細かいところを見落とし、母がもう一度やることになる。

『二度手間になるから、わたしがやる!』という母の姿勢は、何ら間違ってはいない。効率の面から考えるとそうなのだ。

やってもらってもやること変わらないし、それなら私が…という気持ちは理解できる。

でも、ちょっと父の頑張りを認めて、ここが気になるから、と穏やかに言ってもよかったのかもしれない。もっとちゃんとしろよ、とあきれたくなる気持ちはよくわかる。

そして、父は家事に積極的に参加しなくなった。

たぶん、心の底では家事、育児は、女の仕事だと思っているし、口では感謝していると言いつつも、たぶん母がやって当たり前なのだろう。妹もよく料理をする。母と妹が料理することは普通なのだ。

しかし、わたしがときたま料理をすると、すごく褒めるのだ。それが母と妹の癪に障る。たまーーに作った私を褒めるんじゃなくて、毎日やってる母をもっとねぎらってくれよ、といつも思う。ただただ私の料理に「うまい!うまい!」って何度も言わないで、母の毎食の料理にそうやっていえよ。

もちろん、私が作るのはわざわざ、その料理を作るためにスーパーへ買い物へ行って、それで時間かけて作るんだからうまいに決まってるのだ、冷蔵庫の中のもので献立をきめ、短時間で家族分作る母のほうがすごいに決まってる。

そのように女に課された仕事に対して過小評価をしている、というのが今の父の現状である。

もちろんいいところもあって父親のことは大好きだ。でも、嫌いなところがある、そんな感じ。

朝ドラで毎回泣いたり、教えているちびっこラグビーの子にすごく肩入れしてうざがられるほど熱心に通ったり、そういう熱血なところが好きだ。

少しのことで涙したりする父はたぶん繊細で、男らしさの呪縛から逃れられずにこうなってしまったのではないか、と今はそう思っている。

例えば、大学のラグビーの先輩と後輩とのご飯に私もご一緒させてもらった時、父親は先輩には常に腰が低いが、後輩には少し偉そうだった。それが良しとされてきたのだろう。でも、いつもそんなお父さんじゃないのに、、、と思って、すごく嫌だった。ホモソーシャルなノリって感じで、全然好きなお父さんじゃなかった。

無理しているのだと思う。そしてその無理は、無理すれば周りにいい影響を与えるわけでもなく、ただ自分に男らしくあれ、というように無理に言い聞かせているだけだ。

まずは、周りが生きやすいようになってほしい。母や妹が嫌な気持ちをすることをなくしたい。そして、父も一緒に楽になったらいい。

フェミニズムを学び、そしてそれを少しでも社会に浸透させたいなら、まず父親から。少しずつサポートしていきたい。

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