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AIと挑むアイの事件簿『AI: ソムニウム ファイル』レビュー

 世間はブラックフライデー。何気なく買った大安売りのゲームが、思いの外掘り出し物だった。今回はイーライ・ロスが撮ったグロいインセプションこと『AI: ソムニウム ファイル』をご紹介……したいのだが、作品の性質上【ネタバレ】に気を遣わなくてはならない。そのため、【ネタバレ:無】【浅】【深】の3階層で、私から睡眠時間を奪ったこの憎たらしくも面白いゲームのお話をしていこうと思う。年末年始のお供をお探しの方に届けば、何よりだ。

【注意】
今回紹介する作品はCERO:Z(18才以上のみ対象)の作品であり、
文章内に残酷な表現が含まれます。あらかじめご了承ください。

【ネタバレ:無】夢に入り込み、真相を暴く。

東京。
11月のとある金曜日の夜。
降りしきる雨の中、
ひとりの女性の遺体が発見された。
場所は廃墟と化した遊園地のメリーゴーランド…。
その遺体の顔には左目がなかった。
どうやら犯人にくり抜かれ、奪われたらしい。
一報を聞きつけ事件現場に訪れた刑事、伊達。
彼は遺体の顔に見覚えがあった。
なぜ、彼女が――

――これは、夢と現実を捜査し、
失った記憶と因縁の殺人犯を追う、
ある刑事と相棒の物語。
(※公式サイトより抜粋)

 『AI:ソムニウム ファイル』は『Zero Escape』シリーズの監督・脚本を手掛けた打越鋼太郎によるアドベンチャーゲーム。コンセプトは「」と「AI」と「バディもの」で、プレイヤーは主人公の刑事・伊達鍵(だて かなめ)を操り、左目に装着した義眼に宿るAIの相棒「アイボゥ」と共に連続猟奇殺人事件を調査していく。

 打越氏の過去作にあたる『Zero Escape』三部作は、「ゼロ」と名乗る人物によって集められた登場人物たちが否応なくデスゲームに参加させられ、数多の謎を解き明かしながら生存し、デスゲームの意味や黒幕の正体、果ては「今いる世界」の真実に辿り着いていく、一度踏み入れたら結末まで読み進めずにはいられないシナリオの凄まじいクオリティが光る作品だった。時間や精神に関する固定概念を超越し、SFやオカルトといった他ジャンルを縦横無尽に跳ねまわりながらも、ラストには鮮やかに着地を決め驚くほど綺麗に風呂敷を畳んでみせる。その芸術めいた語り口は、陰惨なデスゲームものでありながらも爽やかな読後感をもたらし、未だに忘れえないゲーム体験だったと今でも肯定的に思い出せる。

 そんな打越氏が今回挑むのは「夢」の世界だ。東京で起きた猟奇的な殺人事件。左目をくり抜かれた女性の死体に始まり、関係者も続々と姿を消し、遺体で見つかっていく。そんな事件を捜査する伊達鍵は警視庁の特殊捜査班「ABIS」に所属しており、「Psync」と呼ばれる装置を用いて対象者の「夢」に入り込むことで、事件の真相に迫っていく。彼の捜査を手助けするAI=アイボゥは高度な人工知能を有しており、ズームやサーモグラフといった機能で伊達の視機能を拡張したり、常時ネットワークに接続しての情報検索や電話、窮地に陥った際は超高速計算で解決策を導くなど、目に入れても痛くないどころか頼りになりすぎる義眼であり、相棒である。

 ゲームパートは主に二つで、捜査パートはクリック式のオーソドックスなもの。カーソルを動かして現場にある様々なオブジェクトを調べたり、登場人物と会話することで情報を収集していく。このパートは基本的にしらみつぶしに調べられるものを見ていけばゲームが進行するため、難易度は低く詰まることはないだろう。

 本作ならではの要素として、対象者の夢に侵入する「ソムニウムパート」が存在する。ここでは伊達の代わりに少女の姿に擬人化したアイボゥを操作し、対象者の記憶や無意識が具現化した世界を探索する3Dのアクションパートが展開される。

 前述の通り、夢とは見る人の記憶と無意識によって形作られる。よって、その世界においては起きる事象も風景も、その全てが不条理そのものだ。物理法則を無視したギミック、迷路、辛い出来事のリフレイン……。そうした世界を探索し、対象者が隠している真実や過去を追体験することで、事件の真相に近づいていく。

 ソムニウム(ラテン語で「夢」)における制限時間は6分間。その間に「メンタルロック」と呼ばれる仕組みを解除することが目標となるのだが、アイボゥが動き回ったり、夢世界に現れた様々なオブジェクトに触れたり調べたりすると、その選択肢に設定された時間が消費されてしまう。中には選んだ瞬間に残り時間が消し飛んでしまうような選択肢もあるのだが、そういうものほど重要だったりする。そのため、行動中に手に入る「TIMIE」と呼ばれるアイテムを消費して、行動に関わる消費時間を抑えることが攻略の要である。

 この通り、ソムニウムパートはトライ&エラーを前提としたパズルゲームの要素が強く、用意された様々な選択肢を片っ端から試す、強力なTIMIEを入手する、それらを適切なタイミング・順序で使うなど、行動の消費時間と残り時間を照らし合わせ、アイテムをやり繰りしながら正解に辿り着くことを要求される。序盤こそ簡単だが、終盤になるとTIMIEを適切なタイミングで使用しないと解けない(制限時間が足りない)、方向感覚を狂わせる暗闇のマップなどが登場し、捜査パートとは打って変わって難易度は跳ね上がる。これもしらみつぶしにやっていけばいつかは攻略できるものの、その難解さゆえにゲームを投げ出してしまうプレイヤーがいないか心配になってしまう。これから挑戦する方は、迷わず攻略サイトに頼ることも念頭に置いてプレイしてほしい。

 さて、それらゲームパートの土台に広がるシナリオについては、安心と実績の打越クオリティであった。すなわち、「人を選ぶが、ハマれば止め時を見失ってしまうほどの面白さ」が、本作も冴え渡っていた。

 随所に散りばめられた謎と、登場人物たちの奇怪な行動。それらに対する違和感や疑念がどんどん積み重なっていき、その上さらに物語のテイストは刑事ドラマと陰謀論SFの間を反復横跳びして、しかもやたらアニメや漫画のパロディに下ネタも多い。分岐するルートによっては登場人物の行動や生死も目まぐるしく変化する。初見ではその複雑な分岐の意図を把握することすら不可能だろう。

 だが、またしても本作は『Zero Escape』同様に、無造作に散らされたようにしか見えない点と点とを、驚くようなトリックで一本の線に繋いでみせる。あれだけ不可解だった行動が、謎が、いつしか納得と感動を呼び起こすスパイスに変化していくクライマックスの快感は、これぞ打越ゲー!と強く唸ってしまうのだ。気づかないところまで張り巡らされた設定が「伏線」として息を吹き返す強烈なカタルシスは、必ずやあなたの想像を上回る。

 と、ネタバレをせずに語るとなればこういった大袈裟な言い方になってしまうのも打越ゲーならでは。未プレイ者の楽しみを奪わないよう紹介するのは、ここまでが限界だ。繰り返しになるが、「人を選ぶが、ハマれば止め時を見失ってしまうほどの面白さ」を持つ本作は、万人向けでない故に薦めるのも気を遣ってしまうコンテンツだし、気に入らない人が出てくるのも正直否めない。だからこそ、騙されたと思って、まずは触れて観て欲しい。本作の評価は0か100みたいなものだが、「100」になった時はきっと、これまで出会わなかった過去を後悔するはずだから。

【ネタバレ:浅】人を選ぶ要素について

 冒頭の注意の通り、本作はCERO:Z(18才以上のみ対象)を受けた作品である。題材が殺人事件を扱っているのだが、中にはかなり凄惨なものが含まれる。まず、本作の死体のほとんどは左目をくり抜かれているし、遺体の状態も凍死や吊るされたものなど、視覚的にショッキングなものが多い。また、捜査の必然性としてソムニウム内で見た「人が殺されるイメージ」を何度も見返すことになり、気持ちのいいものではないのは確かだ。苦手な方は、ゲームを進めるのも辛いだろう。

 また、そうした凄惨でシリアスな作風を和らげるためか、伊達とアイボゥの会話、オブジェクトを調べた際のテキストなどにはかなりのギャグ要素が含まれている。それらはまだ可愛いレベルなのだが、襲撃者に命を狙われているシチュエーションでも「”エロ本”という単語を聴いた伊達の動きは常人を上回る」といった要素が平気で顔を出してくる。シリアスな刑事ドラマをずっと見ていたい人にとって、半強制的に見せられるギャグのほとんどは滑ってしまうだろう。

 もう一つ看過できないのは、ギャグと同じ分量で含まれる下ネタだ。ハッキリ言って、発売当時の2019年の価値観と照らし合わせても本作は浮いている。心の声や嗜好の範囲で収まればセーフだが、行為に及んでいないだけで「それはセクハラだろう」という発言も、いくつか見受けられた。ただでさえ人を選ぶ作風なのに、こうした要素でより気を遣うレコメンドになってしまうのが、本当に惜しい。二枚目の容姿をしながら三枚目になってしまう伊達のキャラクターは愛着が湧きやすいだけに、惜しい……。

【注意】
ここから、より深く物語の内容に触れていきます。
未プレイの方の閲覧は推奨いたしません。
【注意】

【ネタバレ:深】AI、I、eye、哀、愛。

 「殺したのは、AIが欲しかったから」

 エンディングを迎えたとき、本作のキャッチコピーを改めて読み返して、これに勝る言葉はないな、と思った。この“AI”という言葉には、いくつもの意味が含まれている。人工知能を意味するAIであり、身体に紐づかない“identity”を巡る事件であり、”eye”を失った悲痛な叫びであり、大切な人を失う“哀”しい境遇に直面する物語だ。そして、それらの根底にあるのは、常に“”だ。

 思えば本作の登場人物には、つねに愛が付きまとう。全ての惨劇は「親の愛を乞う子ども」世島犀人による満たされない欲望が発端であり、その狂気に「子どもを愛する方法を知らない親」灘海硝子と沖浦連珠が巻き込まれ、一方では「無償の愛」に対して親の心子知らずな真津下応太がいて、大切な人を想う「秘めた愛」ゆえに法を犯すピュータのような人がいる。誰もが愛に飢え、愛を奪われることを恐れるがゆえに、他者を欺き裏切り、そして殺す。そうした哀しい連鎖の中で、たった一人“相”棒を信じぬいた伊達鍵が伊達鍵でいられるための“identity”を取り戻す物語。それが『AI: ソムニウム ファイル』の全容だ。

 深まる謎を追う中でプレイヤーは必然的に、あらゆる分岐を制覇することになる。異なる世界線と、異なる運命を遂げる登場人物たち。それらはもちろん神の視点で全てを俯瞰するプレイヤーのみに許された視界なのだが、終盤において伊達は“ありえた世界の記憶”を保持しているかのような言動を見せる。つまり、ゲームという媒体において用意された分岐を「並行世界」という(ゲーム世界においての)現実のものとして扱い、プレイヤーの代理である伊達はそれら全てを認知することが出来る。このメタ構造は『Zero Escape』三部作でも見られた打越ゲー十八番の仕掛けだが、身体と心(脳/人格/記憶)が必ずしも一致しない局面が訪れる本作においては私(I)を揺らがせるものでありながらも同時にプレイヤー=伊達鍵を強く意識させ、最後の大仕掛けである89号―狼範―犀人の入れ替わりロジックに強いショックをもたらすスパイスに昇華する。この一連の流れは思い出しても鳥肌が立ってくる。

 そして、I(私)は行って帰ってくる。収まる所に全てが回帰したその時、プレイヤー=伊達は一番身近にいた人物、アイボゥのひたむきな愛に気づかされる。生命とは遠い存在に位置する、物理的にも最も近くにいた相棒の、強く優しい愛のカタチ。月並みな言葉だが、「最後に愛(AI)は勝つ」ことで、全ての殺人の連鎖は終わりを迎える。これまでの惨たらしさを吹き飛ばすようなラストシーンの高揚感は、長きに渡り苦楽を共にした相棒への愛着であり、無数の愛の結晶がもたらした奇跡を見届けたことへの達成感によるものだろう。とてつもない完成度を誇る本作は、この結末をもって「愛してる」という気持ちを引き出してくれた。

 そして嬉しいことに、続編である『ニルヴァーナ イニシアチブ』が来年2022年に発売が予定されているらしい。大きくなったみずきとアイボゥの活躍に期待膨らみ、ロードの負荷が軽くなることを祈りながら、再び夢に潜入する日を待つとしよう。


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