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知らない街を歩く、という娯楽。

 ライブに当選する。飛行機と宿を取り、折角なので遠征先に住むフォロワーに「会いませんか?」と連絡をしてみる。飛行機が飛ぶ一時間前には保安検査を済ませ、充電ができる席を探して空港内を練り歩く。飛行機に着席したら、離着陸への微妙な不安を紛らわせるために、イヤホンから流れる音楽に身を委ね目を閉じる。羽田空港の到着口を過ぎたら、まずは外へ出る。国籍も性別も年齢もバラバラな人間と人間が列をなし、一気に「非日常」が幕を開ける。

 コロナ以降自粛していた県を跨いでの遠征を、この度解禁してみた。最初はインド映画『RRR』の舞台挨拶に参加するために2022年10月に、そして今回は『アイカツ!』のライブを観覧するために。地元では味わえないような体験を求めて、決して安くはない移動費を払い東京へ向かう。でも自分にとっては、上述の「羽田空港から一歩外へ出る」までの体験で、もう元が取れたようなものだ。

 かつて一年半ほど、東京に住んでいたことがある。全く知らない土地で一人暮らしをするという(とはいえ福利厚生が充実した社員寮だったので、ぬるま湯のようなものだろう)経験、中央線快速に乗って出退勤をするという毎日には、心身共に疲弊し何度も挫けそうになった。けれども、その時の経験は今の仕事にも活かせるものだったし、東京だったからこそ出会えたコンテンツや人との輪によって支えられ今を生きている身として、あの一年半は眩しくて懐かしい日々だった。

 その残滓を求めるかのように、東京に来ると必ず訪れる場所がある。『バーフバリ』の聖地として通い詰めたピカデリーのある新宿と、当時の職場に最も近い東京駅。地元では味わえない“人に酔う”感覚を再び味わい、360度どこを見渡しても娯楽と消費に溢れ、ふと下を見下ろせば“誰かの昨日のお楽しみ”の残骸が広がっている、欲望の街のイメージ。これを肌で感じる度に、不思議と「帰ってきた」という想いが脳を掠める。東京という街は、街そのものが体感型アトラクションのようだ。

 そしてもう一つ、楽しみな時間がある。楽しい催しや人との出会いが終わり、宿へと向かう時間だ。大抵はイベント事がある土地のビジネスホテルの、禁煙シングルの部屋を取り、朝食の有無は問わずに予約を決める。楽しかった時間の思い出を反芻しながら、ホテルまでの道を、googleマップを頼りに歩く。タクシーを使うのは「迷った」と白旗を揚げた時だけという自分ルールがあり、まずは自分の足で目指してみる。これが楽しい。

 時節柄、出張すら無くなって、すべてをweb会議で済ませることが“当たり前”になった時代。自主的に機会を作らないと、住む町を出ることも難しくなった今、“知らない街を歩く”という経験はかなり貴重なものになったように感じる。元より旅行が趣味でも無かったし、出不精な方だからこそ、インドから推しが来るとかライブに行くなどの強烈な動機がない限り、遠征などもっての外だった。だからこそ、一回一回を最大限に楽しむように、夜の街を歩いてみる。

 東京という街は本当に不思議だ。どの建物も背が高く、数万人を収容するようなイベントホールまで備えた地区と、昔ながらの商店街や住宅地とがシームレスに繋がり、それが「東京都」というデカい区切りの中に納まっている。TVで観るような華やかな歓楽街と、そこで暮らす人々の生活圏内とが混ざり合って、同じ区内なのに別の世界へと渡る境界線があるんじゃないかと、そんな感覚に囚われてしまう。

 今回『アイカツ!』のライブが開かれたのは中野区。サンプラザホールを出て一旦は新宿駅に向かい、SNSで知り合った方々と打ち上げを行い、中野に戻って宿へと歩く。サンプラザ付近に戻ると、数時間前のライブの熱狂がぶり返してくる。楽しい時間が終わるさみしさには、どんなに歳を重ねても慣れないものだ。急に涙がこみ上げそうになって、熱くなった体を冷まそうと買ったミネラルウォーターを飲み干すついでにそれを“引っ込ませる”。そしてまた、とぼとぼ歩きだす。

 駅から少し距離がある今回のホテルへは、やや入り組んだ道なれど、昼間に荷物を置くためにチェックインしており、迷うことなく到着した。ここからはもう一つのお楽しみタイムだ。そう、ビジネスホテルに泊まるという行為も、旅の醍醐味なのである。

 カーテンを閉めバスタブでシャワーを浴び、家のものとは違うシャンプーで髪や身体を洗う。あえて寝間着を持参しないのは、荷物を減らしたいのに加え、あのビジネスホテルでしか着ないような(わざわざお金を出して買わないような)ルームウェアに袖を通すのが好きだからだ。

 ルームウェアを纏い身軽になった身体を、大きなベッドに沈めてみる。いつもと違う枕の感触、洗い立てでシワなく整えられたシーツと掛け布団を乱す背徳感を楽しみ、おもむろにTVを点ける。地元とは全く違う番組表に目を通し、こんな時間にアニメやってるの!?と驚くのも風流だ。そして眠気に身を任せるようにして、眠りにつく。朝起きた時、いつもと違う風景が広がっていて、家じゃない場所で眠ることの特別感がグッと増してくる。この感覚も三年ぶりだ。

 ビジネスホテルというのは、自分にとってはもう一つの娯楽だ。他者と隔絶された自分一人だけの場所なのに、見知った土地ではないという若干の心細さが同居するという、不思議な空間。安定して繋がるwi-fiもゲーム機や趣味の本も無くて、どちらかといえば不便寄りであるはずなのに、その「不便」こそが楽しい。先程の空港で感じた「非日常」の終着駅が、このビジネスホテルなんじゃないだろうか。

 そうした感覚を肯定してくれる名著に出会えたので、つい自分も書き上げてしまった。こちらの表現を借りるなら、“不思議な開放感と高揚感”という感慨に、私は酔いしれていた。コロナ禍で失ったものは数えきれないけれど、取り戻したものもいくつかあって、その中の一つが知らない街の風景との出会いと、一夜を過ごす宿でのささやかなゴールデンタイムなのだ。

 楽しかった一泊二日の旅を終え、労働という「日常」へと戻ってしまった私が今、キーボードを叩きながらこの体験談を書いていられるのは、この旅もまた幸せな時間だったことの証左なのだろう。好きなコンテンツのことだけを考えても許される時間と、自分に会うために時間を割いてくれる誰かがいるという有難みを噛みしめる。そうした夢のような時間の名残惜しさにふと涙腺が緩みつつ、目の前の業務や生活に取り組んでいく。その繰り返しで、人生が周っていく。

 あと何度、この幸せを享受できるのだろう。少なくとも、「またね」を言える相手がいる限りは、東京に足を運びたいと思う。翌月の航空券代の引き落としに頭を悩ませるのもまた、楽しみの一つに数えながら。

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