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永遠、じゃないんだよ。『ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー』

 幸せだ。大好きだった映画の続編が、事前の期待を越えて面白かったり、琴線に触れまくったりした時の、脳内で快楽物質がドバドバ出るタイプの幸福感。いやぁ、マジで、ありがてぇという気持ちしか湧いてこない。

 監督・脚本の阪元裕吾の若々しい才気と、主演二人のアンサンブル、ハイローでおなじみ園村健介が手掛けるハイスピードなアクションの切れ味。それらが見事なグラデーションを描き、わずか90分強にして「面白さ」の全部が詰まり切ったような完成度と、主役二人の会話劇を永遠に観ていたいと思わせてくれる多幸感が、前作『ベイビーわるきゅーれ』には満ち満ちていた。殺し屋を題材にしつつ重苦しさや凄惨さを限りなく希釈し、社会に適応しようと奮闘する若者の努力や尊い日常にフォーカスする。そのアンバランスな作風は一作目にして完成され、唯一無二の魅力を放っていた。

 そうした前作の達成をさらに充足させ、対となる「ふたり」を登場させることで世界観を広げ、“ちさまひ”の関係性にも悲劇の未来を予感させる。凄い。まだこんな拡張性をこのシリーズが有していたなんて。初週に駆け付けたサブカル好きの堪えきれない爆笑に劇場が包まれつつ、心の中ではスタンディングオベーションだ。面白い、面白すぎるぞ。

※以下、本作のネタバレが含まれます。

 待望の二作目となる本作は、とある「ふたり」の紹介から幕を開ける。ゆうり・まことの神村兄弟。エナジードリンクを豪快に飲み干す弟まことは、学生時代に所属していたバスケ部の口上を叫んでは自分を鼓舞する。兄ゆうりはそんな弟のノリに付き合いつつ、覚悟を決め現場に向かう。彼らは殺し屋であっても、経験や練度はおそらく不足している。そんな二人は上からの指令ミスにより思わぬ数の無法者を相手取りながら、なんとか生還する。

 まことを演じるのは、我らが濱田龍臣。彼が本来持つ愛嬌や健気さは、殺し屋役であっても健在。衝撃の喫煙シーンもあるのに、常にどこか子犬のような可愛らしさがあり、一目惚れをした定食屋の女の子への奥手な接し方(一方で踏み込み方がキモい)、Tシャツに印字された猫を愛でるちょっとしたサイコ感すらも、とにかくキュートで最高だ。一方の兄ゆうりにはダンスやアクションには手練れの丞威氏で、『燃えよデブゴン TOKYO MISSION』の若手暴力団員役と聞けば、思い出す方も多いかもしれない。ラジオの子ども相談コーナーの愛聴者という一件間の抜けたキャラなのか?と思わせつつ、弟の恋路を真正面から応援したりいざとなれば鉄砲玉になる度胸を見せるなど、兄貴分としての格好良さをムルンムルンに漂わせている。

 そんな二人が打ち上げの焼肉に心躍らせ、生き延びたことを二人で祝いあう。この一連のシーンを見ただけで、神村兄弟のことが大好きになってしまった。彼らはすでにファンの信頼と期待を得ている“ちさまひ”と対になるだけの魅力がなければ映画に深みが生まれないのだが、彼らは冒頭のシーンだけでそれをクリアしてみせた。上のミスなのに給料は下りず、殺し屋業界にも下請けとかあるんだ……という妙な哀愁で笑いをつかみ、いつしか彼らに「死んでほしくない」と本気で観客に思わせる。それを成し遂げただけで本作は100点満点を叩き出してしまった。

 だというのに、本作の面白さはまだまだ加速していく。待ってましたと言わんばかりに登場したちさととまひろは、まるで前作の撮影から地続きのまま演じているのでは?と思うほどに一作目の空気感を醸し出していく。相も変わらず自堕落で、税金の支払いだとか手続きは大の苦手。ほったらかしにしていたジムの会費の請求はかさみ、殺し屋協会の保険(プラン名が最高だ)の支払いも終わっていない。そんな二人がかき氷をほお張り、サブカルを雑に引用しながら会話する様子を見て、心がどんどん満たされていく。あぁ、これが観たくて映画館に来たんだ、という実感。

 二人はなんとか銀行が閉まる15時ギリギリに諸々の支払いにこぎつける……のだが、銀行強盗が現れたことで事態は一変。彼女たちは手際よく強盗を撃退するも、支払いは間に合わず滞納金が発生し、協会から謹慎を受けてしまう。この世の世知辛さと不条理を一身に浴びた二人は、再びバイト生活に突入するのだが、そこから始まる悲喜こもごもは爆笑の嵐。執拗に繰り返される『花束みたいな恋をした』イジりに、田坂・宮内ペアの掛け合いがどんどん笑いを搔っ攫っていく。ラバーガール飛永さんの気の抜けた演技がユニークな須佐野さんのオロオロ仕草も絶品だ。前作でウケた要素をさらに押し広げていく、順当なパワーアップ続編の堂々たる風格を感じる。

 そうしたユーモアを重ねながら、ちさまひチームと神村兄弟チームの距離がどんどん縮まっていき、ついに全面戦争が始まる。殺し屋としての腕前は二人に遠く及ばないはずだった神村兄弟も、仲介役だった赤木さんの死をきっかけに“生きるため”に勝つ貪欲さを見せ、必死に食らいついていく。廃車工場で繰り広げられる、一進一退の攻防。その目にも止まらぬアクションの中で、ちさととまことがそれぞれ負傷。二人は相方に後を託す形で、まひろVSゆうりのファイナルラウンドのゴングが鳴る。

 この映画の中でも最も動ける二人が繰り出す、ちょっとどうかと思うレベルの攻防。お互いが相手の居合のさらに奥に入り込み、ジャブを連続で繰り出していく。そのスピード、量、打撃の重みは、前作のVS三元雅芸にも全く引けを取らない。間違いなく日本アクション映画最高峰のものが、眼前に繰り広げられている衝撃に、まずはクラクラする。まひろとゆうりそれぞれが、互角の実力を持つ相手と対等に競い合うことから生じる、喜びと狂気の笑み。この二人だけが分かり合える空間の凄まじい覇気に、こちらも思わず手に力が入る。

 そして何より、この最終決戦においては両陣共に「」を覚悟している、というドラマ上での重みも乗っかってくる。神村兄弟は殺し屋協会にも目を付けられているため、ここで勝っても追われ続ける運命だし、そんな二人よりも優れた殺し屋であるはずのちさとも、一発銃弾を受ければ身動きが取れなくなる。どこまでもポップでキュートに舗装されていても、彼女たちの生き方には常に死の危険性が卑近にあり、なのにその生き方しか選べなかった。そんなどん詰まりの状況の中で、ちさとがまひろを、まことがゆうりを、自分の命をも賭けて送り出す、その信頼と愛のようなものに涙する。あるいは、闘いが終われば互いを健闘し合って、ささやかな打ち上げをして、違った未来なら仲間だったかもしれない強敵(とも)に引導を渡す。その諸行無常に、胸を締め付けられる。

 つくづく、神村兄弟は魅力的な「ふたり」だった。彼らのスピンオフだって永遠に観ていたいし、劇場に明かりが灯るまでずっと“ゆうまこ”の生存を祈っていた。だが、組織のレールを外れた者は、やはり粛清の対象なのだ。そんなシビアな世界に愛しのちさまひも身を置いているという事実を、本作はややダークに突き付けてくる。二人の掛け合いや日常を永遠に観ていたいと思わされる我々観客だけれど、殺し屋を続ける限りそれは永遠ではないのだ。そんな余韻を餃子トークで吹き飛ばしてくれる二人なのだけれど、直前の主題歌『じゃないんだよ』が妙に響いてくる。“当たり前じゃないんだよ 当たり前じゃないんだよ 僕らが見ている幸せは”。

 願わくば、このシリーズは3、4と言わず10だって50だって観たい。たとえ殺し屋の世界が非情でも、彼女たちの日常が脅かされるようなことは願い下げだ。ちさととまひろが社会に悪戦苦闘しながら、それでも二人でサバイブしていく日々の尊さを、こちらも噛みしめながら生きていきたいのである。

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